ちいさい秋みつけた 歌詞の意味・解釈

火傷の後遺症に苦しんだ幼少期の作詞者 大切な母との思い出

『ちいさい秋みつけた』は、作詞:サトウハチロー、作曲:中田喜直により1955年に発表された日本の童謡・抒情歌。歌詞の意味・解釈については後述する。

歌い出しの歌詞「誰かさんが 誰かさんが 誰かさんが 見つけた」の繰り返し部分が非常に印象的。「ぞうさん ぞうさん お鼻が長いのよ」のように2回繰り返すことは日本の童謡ではよくあるが、3回繰り返しをここまで効果的に用いた童謡は珍しい。

ちなみに、英米系の童謡・マザーグースでは歌詞の3回繰り返しは少なくない。例えば、『メリーさんのひつじ』、『ロンドン橋落ちた』、『桑の木の周りを回ろう』など、3回繰り返しが一つの様式として定型化しているのが分かる。

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幼児期に大やけどを負ったサトウハチロー

『ちいさい秋みつけた』作詞者のサトウハチローは、3歳ごろ熱湯で脇腹に大やけどを負い、数年間病床に伏せっていた。

火傷(やけど)は大きな後遺症となり、ハチローは母親ハルの背中に背負われて小学校に通ったという。

体の不自由さもあり、ハチローは家にこもりがちだった。クリスチャンだった母親は、そんなハチローをよく教会に連れて行ったという。教会の屋根には風見鶏(かざみどり)があった。

『ちいさい秋みつけた』の歌詞には、これら作詞者による幼少期の体験が色濃く投影されていると考えられる。

ちなみに、この火傷の後遺症のせいで、サトウハチローは仕事の際に机を使わず、布団の上にうつぶせに寝た状態(一番楽な姿勢)で創作活動や読書を行っていたのは有名な話である。

一番の歌詞の意味・解釈

『ちいさい秋みつけた』一番の歌詞を次のとおり引用する。

誰かさんが 誰かさんが 誰かさんが みつけた
ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた
めかくし鬼さん 手のなる方へ
すましたお耳に かすかにしみた
よんでる口笛 もずの声
ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた

<引用:『ちいさい秋みつけた』一番の歌詞より>

まず「誰かさん」とは誰なのかについては、ここでは、火傷の後遺症で家にこもりがちになってしまった幼少期のサトウハチローであるとの解釈で説明を試みたい。

幼少期のハチローは、引きこもっていた部屋の中で、外で遊んでいる他の子供たちがうらやましく、その様子をじっと耳を澄まして聴いていたことだろう。

「めかくし鬼」とは昔の子供の遊びの名前。鬼役の子供が目隠しをして、それ以外の子供は手をたたいて鬼から逃げ回るという遊び。京都・大阪では「めんない千鳥」と呼ばれた。

めかくし鬼で遊ぶ子供たちの楽しそうな声を、部屋の中からうらやましそうに聴いていたであろう幼少期のハチロー。

モズ 百舌鳥

するとそこへかすかに耳にしたモズ(百舌鳥)の鳴き声。モズは秋になると、鋭い声で「キーイッ、キーイッ」と鳴き縄張り争いをする習性があり、秋の季語となっている。

あまり外に出られず、季節の変化を肌で感じる機会が少なかった幼少期のハチローにとって、部屋の中でかすかに聴いたモズの鳴き声は、ほんの小さい声ではあったが、季節が感じられた印象的な「ちいさい秋」だったのだ。

二番の歌詞の意味・解釈

『ちいさい秋みつけた』二番の歌詞を次のとおり引用する。

誰かさんが 誰かさんが 誰かさんが みつけた
ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた
お部屋は北向き くもりのガラス
うつろな目の色 とかしたミルク
わずかなすきから 秋の風
ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた

<引用:『ちいさい秋みつけた』二番の歌詞より>

二番の歌詞についても、一番の歌詞に引き続き、幼少期のハチローが火傷の後遺症のせいで引きこもっていた部屋の中が舞台という解釈で説明を行う。

幼少期のハチローがこもっていた部屋は、日が当たらず薄暗い北向き部屋で、不透明な曇りガラス(すりガラス)に閉ざされていたのだろうか。病床に伏せっていた時の部屋だったのかもしれない。

火傷の後遺症のために満足に遊ぶこともできず、幼少期のハチローは部屋の中で気分はふさいで目はうつろ。溶かした粉ミルクは生気を失った目の色の暗喩か、それとも単に秋の肌寒い中で母親が用意してくれたホットミルクだろうか。

そんな薄暗いイメージの部屋の中で、幼少期のハチローは、窓の隙間から部屋の中に入り込んだわずかな風を肌で感じることで、彼なりの「ちいさい秋」を見つけることが出来たのだろう。

三番の歌詞の意味・解釈

『ちいさい秋みつけた』三番の歌詞を次のとおり引用する。

誰かさんが 誰かさんが 誰かさんが みつけた
ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた
むかしの むかしの 風見の鳥の
ぼやけたとさかに はぜの葉ひとつ
はぜの葉あかくて 入日色(いりひいろ)
ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた

<引用:『ちいさい秋みつけた』三番の歌詞より>

「むかしの むかしの 風見の鳥」とは、幼少期のサトウハチローが母親に連れられて行った教会の屋根にあった風見鶏(かざみどり)のことだろう。

「ぼやけたとさか」とは、風見鶏のとさか(鶏冠)が風雨にさらされて摩耗した様子を表しているように思われる。

「入日色(いりひいろ)」とは、西に沈もうとする夕日の色、つまり夕焼けのまっかな空の色を指している。

ハゼノキの紅葉

「はぜの葉」とは、ウルシ科ウルシ属の落葉樹ハゼノキの葉のこと。秋に美しく紅葉することから、俳句の世界ではハゼノキを「櫨紅葉(はぜもみじ)」とよび、秋の季語としている。

サトウハチローは『ちいさい秋みつけた』を作詞した当時、東京都文京区弥生にある家に住んでいた。そこにはハゼノキが植えられており、家の窓から見た紅葉の情景から作詞へのインスピレーションを受けたという。

ハゼノキの紅葉

作詞当時に住んでいた家は、1996年に岩手県北上市のサトウハチロー記念館に移築され、庭にあったハゼノキは2001年、文京区春日一丁目の東京メトロ後楽園駅近くにある礫川公園(れきせんこうえん)に移植された。

写真:礫川公園に移植されたハゼノキの紅葉(出典:Minor's Diary)

歌全体の流れ

『ちいさい秋みつけた』の歌詞を全体的にみると、上述のとおり、作詞者のサトウハチローが大火傷の後遺症で家にこもりがちとなった暗く寂しい幼少期の記憶が色濃く反映されているように感じられる。

家の中ではあったが、一番の歌詞では鳥の鳴き声(聴覚)、二番ではすきま風(触覚・嗅覚)、三番では紅いはぜの葉の色(視覚)によって、「誰かさん」は「ちいさい秋」を感じ取ることが出来た。

その思い出は暗く寂しいものではあったが、サトウハチローが母親ハルと過ごしたわずかな期間の大切な思い出であることは間違いないだろう。

母親との別れ

ちなみに、サトウハチローの父親で作家の佐藤紅緑は、ハチローが中学生の時に舞台女優の三笠万里子と同棲し、妻ハルと離婚した。

ハルは実家の仙台に帰り、ハチローは母親と離れ離れになった。これが原因で、ハチローは荒んだ生活を送ることになる。ハチローが21歳の時、母親は亡くなった。

ハチローの少年時代については、父親が再婚した女優の三笠万里子の娘である佐藤 愛子(ハチローの異母兄妹)が執筆した「血脈」に詳しく記されている

佐藤愛子 血脈

写真:佐藤 愛子「血脈」

モンテヴェルディ『マドリガーレ集』の一曲と似ている?

余談だが、中田喜直『ちいさい秋みつけた』のメロディについては、17世紀北イタリアの作曲家クラウディオ・モンテヴェルディによるマドリガーレ集 第4巻に収録された『死ねるものなら』との類似性が指摘されることがある。

恐らくは偶然の一致の部類であろうが、比較して聴いてみると雰囲気もどこか似ているようでなかなか興味深い。その他のそっくりな曲については、こちらの特集『元ネタ・原曲・似てる曲 洋楽・邦楽 そっくりメロディ研究室』を是非参照されたい。

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