もずが枯れ木で 歌詞の意味・比較

サトウハチローの原詩「百舌よ泣くな」との歌詞の比較

『もずが枯れ木で』は、1935年(昭和10年)発表の詩集「僕等の詩集」に掲載されたサトウハチローの詩「百舌よ泣くな」に基づく日本の歌。

1935年(昭和13年)、東京・板橋第六尋常小学校の教師だった徳富繁が「百舌よ泣くな」の詩に作曲し、教え子や知人に楽譜が配られた。その後、疎開を通じて茨城県内で広まり、戦後に全国で歌われるようになった。

モズ 百舌鳥

今日よく歌われている『もずが枯れ木で』の歌詞は、サトウハチローによる原詩「百舌よ泣くな」のそれといくつか異なる点が存在する。「鳴く」と「泣く」という大きな違いにもすぐに気付くだろう。

この『もずが枯れ木で』と「百舌よ泣くな」の相違点と、細かい歌詞の意味や解釈などについて、ひとつずつ解説してみたい。

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一番の歌詞の意味・比較

まず、『もずが枯れ木で』より一番の歌詞を次のとおり引用する。

もずが枯木で 鳴いている
おいらは藁(わら)を たたいてる
綿ひき車は お婆さん
コットン水車も まわってる

<引用:『もずが枯れ木で』一番の歌詞>

モズ(百舌鳥/鵙)は、スズメ目モズ科モズ属の鳥類。サトウハチローは戦後に発表した童謡『ちいさい秋みつけた』の中でもモズの鳴き声を取り上げている。

モズと枯れ木の組み合わせとしては、江戸時代初期の剣術家・宮本武蔵による掛軸「枯木鳴鵙図(こぼくめいげきず)」が有名。

藁(わら)を叩いているのは、縄をなうために柔らかくするため。

「綿ひき車」とは、実綿(みわた)から種子を取り除く綿繰り車のこと。

原詩との違いは?

一番の歌詞における原詩との違いは、冒頭の一行のみに見られる。原詩を次のとおり引用する。

百舌が枯木に 泣いてゐる

<引用:サトウハチロー「百舌よ泣くな」より>

「枯木で」と「枯木に」という助詞の違いの他に、「鳴いて」と「泣いて」という大きな違いが見られる。

もずがなぜ泣いているのかについては、寒いからだと三番の歌詞で判明する。「鳴いて」いるのではなく、「泣いて」いるのである。

二番の歌詞の意味・比較

『もずが枯れ木で』二番の歌詞を次のとおり引用する。

みんな去年と 同じだよ
けれども足りねえ ものがある
兄(あん)さの薪(まき)割る 音がねえ
バッサリ薪割る 音がねえ

<引用:『もずが枯れ木で』二番の歌詞>

この二番に関しては、サトウハチローによる原詩「百舌よ泣くな」との違いが見られない。

去年までは薪割りを担当していた兄さんが、今年はその薪割りの音がしないことで、今年は兄がそばにいなくなってしまったことを表現している。その理由は三番の歌詞で明らかにされる。

三番の歌詞の意味・比較

『もずが枯れ木で』三番の歌詞を次のとおり引用する。

兄さは満州へ 行っただよ
鉄砲が涙で 光っただ
もずよ寒いと 鳴くがよい
兄さはもっと 寒いだろ

<引用:『もずが枯れ木で』三番の歌詞>

今年は兄が薪を割る音がしなくなったという二番の歌詞の理由が、三番の歌詞の冒頭で簡潔に述べられる。

「満州」とは、原詩が発表された1935年(昭和10年)当時、中国東北部に存在した満州国のこと。兄は軍の一員として満州へ派遣されたようだ。

「鉄砲が涙で光った」とあるが、この歌はすべて「おいら」が家の周りで直接見聞きした音や風景が描写されているので、満州に赴任後の兄の涙ではなく、兄のことを想い出して溢れた涙のせいで、「おいら」の家にあった猟銃(鉄砲)の金属部分が光って見えたという内容ではないかと推測される。

原詩との違いは?

サトウハチローによる原詩「百舌よ泣くな」の該当部分を次のとおり引用する。

兄さは満洲へ 行っただよ
鉄砲が涙に 光っただ

百舌よ寒くも 泣くで無え
兄さはもっと 寒いだぞ

<引用:サトウハチロー「百舌よ泣くな」より>

原詩「百舌よ泣くな」では、寒くても泣くな、兄はもっと寒い思いをしてるのだから、とモズをたしなめる表現となっているのが分かる。

これに対して、『もずが枯れ木で』の歌詞では、逆に「もずよ寒いと鳴くがよい」と、モズの行動を否定することなく逆に促すようなフレーズに差し替えられている。

この「泣くで無え」と「鳴くがよい」の違いが、日本における戦前と戦後の国家体制の変化を如実に表している非常に象徴的な部分であると言えよう。

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