花見の意味は? 歴史・由来・ルーツ

桜咲く春の宴会「お花見」のルーツは?いつから?

春に桜の木の下でレジャーシートを広げ、家族や友人らが集まって弁当や酒を愉しむ宴会、いわゆる「お花見」は、一体いつ頃からどんな形で行われた行事だったのだろうか?

花見の意味や歴史・由来・ルーツについて、主な歴史上の出来事を簡単にまとめてみた。

桜の花

奈良時代 梅花の宴

奈良時代の天平2年(730年)1月、現在の福岡県太宰府市にある大伴旅人(おおとも の たびと)の邸宅で、梅花を題材として和歌を詠む宴会「梅花の宴」が開催された。当時「梅」は唐から渡ってきた珍しい植物だった。

この「梅花の宴」は、公家や貴族らによる歌会(うたかい)であり、庶民のための花見ではなく、花もサクラではないが、花を愛でながら宴を開くという「花見」のルーツの一つであると考えられる。

この宴で詠まれた32首の歌は、奈良時代末期の和歌集『万葉集』巻五に収録されている。その序文は、昭和・平成に続く元号「令和」の語源として有名になった。

「令和」語源の詳細は、こちらの「令和と万葉集 梅花の歌 意味と元歌」で詳しく解説している。

平安時代に梅から桜へ

花と言えば梅だった奈良時代が終わり、794年「鳴くよウグイス平安京」で平安時代に入ると、花見の主役としてサクラの花が登場するようになる。

平安時代の嵯峨天皇(さがてんのう/在位:809年-823年)は、地主神社のサクラを大変気に入っており、毎年サクラを献上させていたという。

812年(弘仁3年)3月、嵯峨天皇は神泉苑で「花宴の節(せち)」を開催した。この宴の主役はサクラであり、これが記録に残る最も古い「桜の花見」と考えられている。

詩宴を精力的に開催していた嵯峨天皇は、これ以降も「桜の花見」を度々開催していたことだろう。「桜の花見」は貴族の間で急速に広まっていった。

田の神が宿る桜

農民の間では、春になると田の神が山からおりて桜の木に宿ると信じられていたという。桜の咲き方でその年の収穫を占うなど、豊作祈願の意味合いで「花見」が行われていた。

これは現代のような行楽や宴会としての花見ではなく、文字通り桜の花の咲き具合を見て確認することで、豊作祈願や種もみの準備など、稲作を行うための一種の神事的な意味を持った行事だった。

「左近桜」誕生

京都御所の紫宸殿(ししんでん/ししいでん)には、左近桜(さこんのさくら)と呼ばれる桜の木が植えられている。

紫宸殿正面の階段から見て左にある桜の樹で、右側のタチバナは右近橘(うこんのたちばな)と呼ばれる。

紫宸殿(ししんでん)右近の橘 左近の桜

写真:京都御所 紫宸殿の左近桜と右近橘(出典:Wikipedia)

左近桜の場所には、平安京遷都の時から梅の木が植えられていたが、承和年間(834年-847年)に枯死したため、桜を愛好していた仁明天皇が梅の代わりに桜に差し替え、今に至る。

以後、紫宸殿における花見の行事は、梅ではなく桜の花見ということになる。

源氏物語「花宴(はなのえん)」

831年(天長8年)からは、桜の花見は宮中で天皇主催の定例行事として取り入れられた。紫宸殿での桜の花見の様子は、『源氏物語』「花宴(はなのえん)」にて次のように描かれている。

如月(きさらぎ)の二十日あまり、 南殿(なでん)の桜の宴せさせたまふ。后、春宮の御局、左右にして、参う上りたまふ。

<意味>
二月の二十日余りに、南殿(紫宸殿)の桜の宴が催された。藤壺中宮と東宮の御座所を左右にして、お二人が参内した。

<引用『源氏物語』より「花宴(はなのえん)」冒頭>

紫宸殿の左近桜が誕生した後の「桜の宴」と思われる。これは宮中行事ということで、庶民による桜の花見ではないが、平安時代の花見は桜が定番となったことを裏付ける歴史的資料の一つといえるだろう。

西行法師と桜

平安時代末期には、歌人・僧侶の西行(さいぎょう/1118-1190)が桜の花を好んでおり、吉野の桜を題材とした多くの歌を残した。

西行法師は晩年、自らの死に場所について次のような歌を詠んでいる。ここでの「花」とはすなわち「桜」を意味している。

ねかはくは 花のしたにて 春しなん
そのきさらきの もちつきのころ

『山家集』

ねかはくは はなのもとにて 春しなん
そのきさらきの 望月の比

『続古今和歌集』

<意味>

願うことには、桜の花の下で春に死にたい。(しかも釈迦が入滅した)陰暦二月十五日の満月のころに。

西行の死後、室町時代に成立した世阿弥(ぜあみ)の能楽作品『西行桜』(さいぎょうざくら)では、西行の庵室(京都)に咲く美しい桜を見に多くの人々が訪れる様子が描写される。

豊臣秀吉 醍醐の花見

安土桃山時代には、豊臣秀吉が晩年に京都の醍醐寺に700本の桜を植えさせ、茶会や歌会など盛大な花見を催した。これは「醍醐の花見」として有名。

参加者は、豊臣秀頼・北政所・淀殿ら近親の者を初めとして、諸大名からその配下の女房女中衆約1300人が召集された。

「醍醐の花見」は慶長3年3月15日(1598年4月20日)に開かれ、豊臣秀吉はこの約5か月後に没している。

江戸時代

江戸時代には、三代将軍家光が上野や隅田河畔に桜を植え、八代将軍吉宗は飛鳥山を桜の名所として整備するなど、庶民にとって花見の場所が増えていき、行楽としての花見が浸透していった。

ソメイヨシノ

写真:ソメイヨシノ(出典:Wikipedia)

江戸時代の後期には、オオシマサクラとエドヒガンを改良した品種「吉野桜」が誕生。のちに「ソメイヨシノ」と呼ばれ、桜の代表格として今日まで広く親しまれている。

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