交響曲第2番 シベリウス

カルペラン男爵の尽力で実現したイタリア滞在中に作曲

シベリウス『交響曲第2番 ニ長調』作品43は、『フィンランディア』から2年後の1901年に完成した交響曲。主にイタリア長期滞在中に作曲された。

フィンランディア』の名付け親であるフィンランドのアクセル・カルペラン男爵(Baron Axel Carpelan/1858-1919)は、シベリウス宛に次のような手紙を送った。

イタリアに旅し、カンタービレを学び、調和ある可塑性、弾性、適正を学ぶこと。イタリアに存在する美、そのあり方、あるいは醜悪、そこに見える意味合いが、チャイコフスキーの、そしてリヒャルト・シュトラウスの進歩にどれほど影響したか、学んでほしい。

松原千振「ジャン・シベリウス―交響曲でたどる生涯」

イタリア長期滞在が出来るほどシベリウスには金銭的な余裕はなく、カルペラン男爵自身もその費用をすべて賄えるほど裕福ではなかったが、シベリウスの有望な将来性についてカルペラン男爵は友人らを熱心に説得し、旅行に必要な資金を集めることができた。

1901年1月、シベリウス一家はイタリア北西部ジェノヴァ(Genova)近郊のラパッロ(Rapallo)(上写真)に住まいを借り、イタリアでの作曲活動が始まった。

やがてローマにも滞在したシベリウスは同年5月にフィンランドへ帰国。イタリア滞在中に『交響曲第2番』のすべてを作曲することは出来なかったが、大幅な改訂を経て年末には完成。

1902年3月8日、シベリウス自身の指揮で初演された『交響曲第2番』は大成功を収めた。すぐに追加コンサートが3回も行われたが、いずれも満席だったという。

【試聴】 シベリウス『交響曲第2番』クリーヴランド管弦楽団

ロシア帝国による弾圧下にあったフィンランド

曲の解釈については、2年前の『フィンランディア』から続く民族主義の流れで、ロシア帝国に対する抵抗と勝利を看取する見解も根強いが、シベリウス自身は『交響曲第2番』について政治的意図も標題的な意味も否定しているようだ。

ロシア帝国による弾圧下にあったフィンランドにおいて、著名な音楽家が反ロシア的な態度を露わにすれば、見せしめにされて家族や親類にも危険が及ぶ。

ただでさえ『フィンランディア』で注目を集めていたシベリウスは、家族を守るため、『交響曲第2番』と政治との関係をあえて否定していたのではないだろうか。

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