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| プッチーニ(出典:WIkipedia) |
プッチーニ(Giacomo Puccini/1858-1924)は、トスカ、蝶々夫人、トゥーランドットなどの有名なオペラ作品を残したイタリアの作曲家。
プッチーニ家は、18世紀から連綿と続くルッカの宗教音楽家の家系だった。最初は教会オルガニストとして働いていたプッチーニだったが、ジュゼッペ・ヴェルディのオペラ『アイーダ』を観て以来、彼の人生はオペラ作曲へと傾いていった。
プッチーニの出世作は、1893年初演のオペラ『マノン・レスコー(Manon Lescaut)』。原作は、フランスの貴族アベ・プレヴォーによる同名の小説。ルイージ・イッリカとジュゼッペ・ジャコーザの脚本に、プッチーニが曲をつけた。
『マノン・レスコー(Manon Lescaut)』での成功を機に、イリッカ、ジャコーザ、プッチーニの強力トリオが結成され、この三者によるコラボレーションは、『ラ・ボエーム』(1896年)、『トスカ』(1900年)、『蝶々夫人』(1904年)の3大傑作として結実した。
イッリカが筋立てを組み上げ散文形式で書き連ねた会話を、ジャコーザが格調高い韻文に仕上げ、そこへプッチーニが美しいメロディーを重ねていく。
温厚な性格で知られるジャコーザは、気性の荒いイッリカと、同じく激しい気性で台本作家を酷使する傾向にあったプッチーニとの間で、いわゆる「潤滑油」的な役割を果たしていたという。
実際、1906年にジャコーザが亡くなった後、プッチーニとイッリカは共同では何ら新作を生み出すことはできなかった。
1910年『西部の娘』、1917年『つばめ』に続き、1918年には『三部作』とよばれる1幕オペラの連作が完成、初演された。ホラーのエピソードをふくんだ『外套』、感傷的な悲劇『修道女アンジェリカ』、喜劇というよりは笑劇の『ジャンニ・スキッキ』の3曲で構成された。
1924年、喉頭癌の治療のために滞在中のブリュッセルで、合併症が原因で急死した。最後のオペラ『トゥーランドット』は未完成のまま遺された。
『トゥーランドット』のフィナーレは、彼の遺稿も参考にして友人フランコ・アルファーノが補筆することとなった。しかし、アルファーノ補作の大部分は、世界初演時の指揮者トスカニーニが冗長と見做してカットしたため、一般的に短縮版が公演で用いられることが多いという。
2008年には、プッチーニ生誕150周年を迎える。
有名なアリア「冷たい手を」、「わが名はミミ」
有名なアリア「歌に生き、恋に生き」、「星は光ぬ」
有名なアリア「ある晴れた日に(Un bel dì vedremo)」
有名なアリア「誰も寝てはならぬ(Nessun Dorma)」
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