叱られて 歌詞の意味は?

あの子は町まで お使いに この子は坊やを ねんねしな

『叱られて』(しかられて)は、1920年4月に少女雑誌「少女号」上で発表された日本の童謡・唱歌

作詞は男性詩人の清水かつら、作曲は弘田 龍太郎。『叱られて』の翌年(1921年)には、この両名のコンビによる新作童謡『雀の学校』が「少女号」上に掲載されている。

東武東上線和光市駅前の歌碑。『叱られて』、『靴が鳴る』、『みどりのそよ風』の歌詞が刻まれている。

『叱られて』の歌詞の意味については、様々な解釈が可能であるが、一般的に、親元から離れ、遠くの名家へ奉公へ出された子供の心境が歌われていると説明されることが多いようだ。

歌詞(作詞:清水かつら)

叱られて 叱られて
あの子は町まで お使いに
この子は坊やを ねんねしな
夕べさみしい 村はずれ
こんと きつねが なきゃせぬか

叱られて 叱られて
口には出さねど 眼になみだ
二人のお里は あの山を
越えてあなた(彼方)の 花の村
ほんに花見は いつのこと

【YouTube】叱られて

4歳で実母と生き別れた清水かつら

『叱られて』作詞者の清水かつら(1898-1951)は東京深川生まれ。4歳のときに2歳下の弟が亡くなると、自責の念からか母は心の病にかかり、母は離縁されてしまったという。

その後は継母(ままはは)を迎え、成長した清水かつらは出版社に就職。少年・少女向け雑誌の編集に携わるかたわら、童謡の作詞を手掛けていった。

『叱られて』は清水かつらが21歳頃の作品。幼い頃に母と生き別れた悲しみを、親元を離れ奉公へ出された子供の心境と重ね合わせたのだろうか。

継母と異母兄弟に囲まれた幼少期

継母はどんな人だったのだろう。清水かつらの父と継母との間には新たな子が何人も生まれたようだが、幼い清水かつらは家庭内でどんな扱いを受けていたのだろうか。

想像するに、新しい母親に対して、実母のように心から甘えることはなかなかできなかったと思われる。継母としても、どうしても自分が産んだ子供を(無意識にも)優先的に可愛がってしまうのは無理もないこと。父親は多忙で家を留守にしがちだったという。

恐らく、幼い清水かつらは、自分の家にいながらも継母と異母兄弟に囲まれ、まるで他人の家に住まわされているような疎外感や寂しさを子供心にも感じていたのではないだろうか。

それはまるで、他人の家に奉公へ出された子供の境遇にも劣らない辛い状況。日に日に薄れていく実母の記憶。最後に見た母の顔はどんなだったろう。

歌詞には二人の子供が登場するが、これは清水かつらと亡くなった弟を暗示しているようにも思われる。生き別れた母の実子である二人。実母とつながりのある唯一のかけがえのない兄弟。

清水かつらの心の中で、弟さんはいつまでも生き続けていたことだろう。新しい家で辛い時も寂しい時も、彼は決して一人ではなかったのだ。

最後に、『叱られて』の歌詞にある「花」を「母」と置き換えると、清水かつらが子供心にも感じていたやりきれない哀しみが暗に込められているようで、心が痛む。

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