小諸なる古城のほとり 歌詞の意味

島崎藤村が長野県小諸の懐古園で詠んだ旅愁の詩

『小諸なる古城のほとり』(こもろなる こじょうのほとり)は、『雀の学校』や『春よ来い』などで知られる弘田龍太郎が作曲した日本の歌曲。

歌詞は、明治38年(1905年)に発行された島崎藤村の詩集「落梅集」冒頭に収められた同名の詩が用いられている。藤村が29歳の時に小諸城址の懐古園(かいこえん)で詠んだ旅愁の詩。

小諸城址 懐古園

写真:小諸城址 懐古園 三之門(出典:Wikipedia)

同詩は、五木ひろしの歌謡曲『千曲川 ちくまがわ』にも影響を与えていると考えられる。

島崎藤村の詩「小諸なる古城のほとり」は、後に作者自身により「千曲川のほとりにて」と合わせ、「千曲川旅情の歌」としてまとめられている。

このページでは、『小諸なる古城のほとり』の歌詞について、その意味や背景について簡単にまとめてみたい。

【YouTube】弘田龍太郎:小諸なる古城のほとり(島崎藤村)

小諸城址からの眺め(水の手展望台)

小諸城址 展望台 千曲川

写真:千曲川を眼下に見下ろす小諸城址からの眺め(水の手展望台/出典:一般社団法人こもろ観光局Webサイト)。

歌詞

小諸なる 古城のほとり
雲白く 遊子(ゆうし)悲しむ
緑なす 蘩蔞(はこべ)は萌えず
若草も 籍(し)くによしなし
しろがねの 衾(ふすま)の岡辺(おかべ)
日に溶けて 淡雪(あわゆき)流る

あたゝかき 光はあれど
野に満つる 香(かおり)も知らず
浅くのみ 春は霞(かす)みて
麦の色 わずかに青し
旅人の 群(むれ)はいくつか
畠中(はたなか)の 道を急ぎぬ

暮行けば 浅間も見えず
歌哀し(かなし) 佐久(さく)の草笛
千曲川(ちくまがわ) いざよう波の
岸近き 宿にのぼりつ
濁(にご)り酒 濁れる飲みて
草枕 しばし慰(なぐさ)む

歌詞の意味・現代語訳(意訳)

小諸城址のほとりで
白い雲を眺め 悲しくたたずむ旅人(藤村)

新緑のはこべもまだ芽吹いておらず
若草もその上に腰を下ろせるほどではない

白銀の雪が敷き積もる山辺で
薄く積もった雪が陽に溶けて流れていく

日差しは暖かくなってきたが
野に満ちる香りはない

春霞が浅くかかるのみで
麦の色はわずかに青い

幾人かの旅人の群れが
あぜ道を急ぎ通っていく

日が暮れて 浅間山も見えなくなり
佐久地方の草笛の音が哀しく聞こえる

千曲川に漂う波の
岸に近い宿屋に入り

濁り酒を飲み
しばらくの間 旅愁を慰める

意味の補足

「遊子」は、旅人の意味。ここでは島崎藤村本人。

「はこべ」は、ナデシコ科ハコベ属の植物。ハコベラは春の七草のひとつ。

「淡雪」とは、春先のうっすらと積もって消えやすい雪のこと。

「草枕」の意味は、旅寝すること。旅先でのわびしい宿り。

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