千曲川 歌詞と解説 五木ひろし

武田信玄の川中島の戦いや真田家の上田城で有名な千曲川

『千曲川(ちくまがわ)』は、五木ひろしの歌で1975年5月にリリースされた歌謡曲。作詞:山口洋子 作曲:猪俣公章。

曲名のとおり、長野県を流れる千曲川(新潟県から信濃川)を題材としており、失恋後に信濃路を一人旅する情景を歌った長野県のご当地ソングとなっている。

千曲川

ただ、歌詞では、長野県の具体的な地名として千曲川と浅間山を挙げるのみであり、この曲のモデルとなった具体的な地域を特定するのは難しそうだ(おそらくモデルはない)。

なお、この歌詞は、島崎藤村の詩「千曲川旅情の歌」に触発されて作詞されたとされている。この詩に含まれる「小諸なる古城のほとり」は特に有名。

このページでは、武田信玄の川中島の戦いや、真田家が徳川軍に大勝した上田城といったような、千曲川沿いの有名な史跡について簡単にまとめてみた。

写真:千曲川(長野県南佐久郡川上村付近/出典:angler-s.com)

【YouTube】 五木ひろし『千曲川』

歌詞

水の流れに 花びらを
そっと浮かべて 泣いたひと
忘れな草に かえらぬ初恋を
想い出させる 信濃の旅よ

明日はいずこか 浮き雲に
煙りたなびく 浅間山
呼べどはるかに 都は遠く
秋の風立つ すすきの径よ

一人たどれば 草笛の
音いろ哀しき 千曲川
よせるさざ波 くれゆく岸に
里の灯ともる 信濃の旅路よ

川中島の戦いと千曲川

千曲川に関連する歴史と言えば、戦国時代に武田信玄と上杉謙信の両雄が激突した川中島の戦いが有名だろう。

武田信玄と上杉謙信の両雄が激突

上杉謙信の繰り出す太刀を、武田信玄が軍配で受け止めるシーン(史実か否かは不明)が特に有名。

挿絵:コーエーテクモゲームス「信長の野望・創造」より

下の図は、第四次・川中島の戦いの布陣図(出典:Wikipedia)。千曲川の北側が戦場になっているのが分かる。

第四次・川中島の戦い

妻女山(さいじょさん)に陣を張っていた上杉謙信は、夜陰に乗じて密かに山を下り、雨宮の渡しから千曲川を対岸に渡った。

この場面は、江戸時代後期の思想家・頼山陽(らい さんよう)の漢詩『川中島』において、「鞭声粛々 夜河を渡る」(べんせいしゅくしゅく よるかわをわたる)と描写されている

上田城と千曲川

千曲川付近の歴史としてはもう一つ、NHK大河ドラマ「真田丸(さなだまる)」でも描かれた「上田合戦(うえだかっせん)」が有名。

NHK大河ドラマ「真田丸(さなだまる)」

上田合戦は、信濃国の上田城付近で起こった真田氏と徳川氏の戦いの総称。上田城の南側には千曲川(の分流である尼ヶ淵)が流れていた。

上田城は当時、「千曲川 尼ヶ淵城」とも呼ばれていたという。

上田城と千曲川

上田城に攻め寄せた徳川軍だったが、真田軍の知略を尽くした反撃を受け撃退され後退。敗退する徳川軍は、千曲川にそそぐ神川(かんがわ)付近まで追い詰められ、堰き止めておいた上流からの鉄砲水により多数の犠牲者を出した。

上画像:上田城の模型図(出典:Webサイト「アンモナイト化石館」)

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