サンブル・エ・ミューズ連隊行進曲

『だれかが口笛ふいた』原曲のフランス軍歌・行進曲

サンブル・エ・ミューズ連隊行進曲』(原題:Le Régiment de Sambre et Meuse)は、1879年に作曲(編曲)されたフランス軍歌・行進曲。「ミューズ」は「ムーズ」とも表記される。

NHK「みんなのうた」で1965年(昭和40年)に初回放送された『だれかが口笛ふいた』原曲として知られる。

ミューズ川

写真はベルギー北部の都市ナミュールを流れるミューズ川(ムーズ川/出典:Wikipedia)。サンブル川とミューズ川は多くの運河で結ばれており、最終的にナミュールで両河川は合流する。

作詞者・作曲者等の詳細については後述する。

【試聴】 歌唱付き Le Régiment de Sambre et Meuse

【試聴】 Le Régiment de Sambre et Meuse

歌詞の意味(大意)

1.
Tous ces fiers enfants de la Gaule
Allaient sans trêves et sans repos
Avec leurs fusils sur l'épaule
Courage au cœur et sac au dos,

誇り高きガリアの子らが
休戦も休息もなく進み行く
ライフルを肩に 勇気を心に

La gloire était leur nourriture.
Ils étaient sans pain, sans souliers,
La nuit ils couchaient sur la dure
Avec leurs sacs pour oreillers.

栄光が彼等の糧
パンもなく 靴すらなく
固い地べたの上で
バッグを枕に眠るのだ

Le régiment de Sambre-et-Meuse
Marchait toujours au cri de liberté
Cherchant la route glorieuse
Qui l'a conduit à l'immortalité.

サンブル・エ・ミューズ連隊
自由の叫びと共に進む
不朽の名声へと続く
栄光の道を求めて

2.
Pour nous battre ils étaient cent mille.
A leur tête, ils avaient des rois !
Le général, vieillard débile,
Faiblit pour la première fois.

我らの敵は十数万
先頭には王様が
将軍は弱虫の老いぼれ
初めから士気は低い

Voyant certaine la défaite,
Il réunit tous ses soldats
Puis il fit battre la retraite,
Mais eux ne l'écoutèrent pas !

敗北は明らか
兵士らを集めて叱咤すれど
誰も耳を貸さなかった

Le régiment de Sambre-et-Meuse
Marchait toujours au cri de liberté
Cherchant la route glorieuse
Qui l'a conduit à l'immortalité.

サンブル・エ・ミューズ連隊
自由の叫びと共に進む
不朽の名声へと続く
栄光の道を求めて

3.
Le choc fut semblable à la foudre.
Ce fut un combat de géants.
Ivres de gloire, ivres de poudre,
Pour mourir ils serraient les rangs.

雷の如き突撃 巨人の戦い
栄光と火薬に酔いしれ
死への団結

Le régiment par la mitraille
Était assailli de partout.
Pourtant la vivante muraille
Impassible restait debout.

雨と降る銃弾に
打ち尽くされる連隊
だが生ける壁は
直立不動のままだった

Le régiment de Sambre-et-Meuse
Marchait toujours au cri de liberté
Cherchant la route glorieuse
Qui l'a conduit à l'immortalité.

サンブル・エ・ミューズ連隊
自由の叫びと共に進む
不朽の名声へと続く
栄光の道を求めて

4.
Le nombre eut raison du courage,
Un soldat restait : le dernier !
Il se défendit avec rage
Mais bientôt fut fait prisonnier.

勇気も数には勝てなかった
生き残った兵士はたった一人
怒りの抵抗むなしく
すぐさま捕虜になった

En voyant ce héros farouche
L'ennemi pleura sur son sort !
Le héros prit une cartouche
Jura, puis se donna la mort !

屈することなき英雄
その運命に敵も涙した
英雄は銃を取り 自決した

Le régiment de Sambre-et-Meuse,
Reçu la mort au cri de "Liberté",
Mais son histoire glorieuse
Lui donne droit à l'immortalité.

サンブル・エ・ミューズ連隊
自由の叫びと共に進む
不朽の名声へと続く
栄光の道を求めて

作曲者について

作曲者は、歌劇『コルネヴュの鐘』で知られるオペレッタ作曲家ジャン・ロベール・プランケット(Jean Robert Planquette/1848-1903)。1871年作曲。

フランスのロアール地方で歌われた古い民謡のメロディが用いられているというが、曲名等の詳細は不明。

ベルギーのディナンを流れるムーズ川

写真:ベルギーのディナンを流れるムーズ川(出典:Wikipedia)

1879年、フランス軍楽隊楽長ジョセフ・フランソワ・ラウスキ(Joseph François Rauski/1837-1910)が行進曲に編曲し、現在の形となった。

歌詞は、フランス対プロイセンの普仏戦争(ふふつせんそう)が勃発した1870年に、兵士らの士気を高めるために書かれたポール・セザーノ(Paul Cezano)の詩が用いられている。

フランス植民地だったオハイオ州でも演奏

18世紀にフランスがアメリカ中西部に切り開いたオハイオ州では、オハイオ州立大学マーチバンドのレパートリーの一つとして、このフランス軍歌『サンブル・エ・ミューズ連隊行進曲』が用いられている。

オハイオ州立大学マーチバンド

写真:オハイオ州立大学マーチバンド(出典:Wikipedia)

フランスが支配していたこの地域は、フレンチ・インディアン戦争や七年戦争でイギリスの支配下に入った後、アメリカ独立戦争によってイギリスからアメリカへ領有権が移ったという歴史的経緯がある。

オハイオ州立大学はカレッジフットボールの名門であり、全米チャンピオンの常連校。NFL(ナショナル・フットボール・リーグ)にも多数の出身者を輩出している。

統率のとれたマーチングバンドの演奏でも有名で、『サンブル・エ・ミューズ連隊行進曲』はフットボールの応援曲となっている。

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