
Frederic Edward Weatherly(フレデリック・エドワード・ウェザリ)が「ダニーボーイ」のメロディーとして採用した「ロンドンデリーの歌」は、1855年に出版されたアイルランド民謡概説書「The
Ancient Music of Ireland」の中に収録されているアイルランド民謡の一曲として始めて出版物上に登場します。
この時点ではまだこのメロディーのタイトルは判明していなかったため、"Anonymos Air"とされていたようです。この概説書を編纂したのはアイルランドの首都ダブリン出身のDr. George Petrie(ジョージペトリー/1789-1866)という人物で、彼は考古学の分野でのパイオニア的存在として知られている他、すぐれた画家であり、またアイルランド民謡の収集家でした。
George Petrie(ジョージペトリー)によれば、1833年から35年頃の間、彼が何度か民謡の調査目的でLondonderry地方のリマバディ(Limavady)を訪れたときに、そこで知り合ったMiss Jane Ross(1810-1879)という女性からこの「ロンドンデリーの歌」のメロディーを教えてもらったようです。 彼女の家族は昔からリマバディ(Limavady)のRoe Valleyに住んでおり、彼女は出版されていない数多くのその地方の民謡を収集しており、この「ロンドンデリーの歌」を含め、彼女が知るいくつかのメロディーを紹介することを彼に快く許諾してくれたとのことです。
ちなみに、「ロンドンデリーの歌」と似たようなタイトルとして、「デリー地方の歌(Air from County Derry)」という題名を見かけることがありますが、この2つの曲は同じものを指します。「ロンドンデリー」という言い方は、アイルランドを軍事的・政治的に支配したイギリスとの関係を殊更に強調する表現として、アイルランドのナショナリストから批判を浴びているところでもあり、「ロンドン」という文言は使用しない方向でタイトルが変えられていったようです。
さて、George Petrie(ジョージペトリー)に「ロンドンデリーの歌」を教えたMiss Jane Rossですが、彼女はどうやってこのメロディーと出会ったのでしょうか?これは彼女が自分で創作したオリジナルのメロディーではないのでしょうか?次のページで更に謎に迫ります。