
ビリャ軍は1920年の和平協定で武装解除され、武器を捨てたビリャたちは、畑を耕すため故郷のチワワ州・ドゥランゴ州へと帰っていきました。彼は、政府から給付された農園で、彼の三人の妻と6人の子供、護衛の男達や元同志その家族たちと住み、農業経営に乗り出していきました。ビリャ自身も仲間達と土まみれ汗まみれになって働いていたといいます。
農業経営もうまくいき、新たにホテル経営もするなどすべて順調だった彼ですが、古い友人の子供の名付け親になるために出かけた帰りの街道で、街の片隅で待ち構えていた数人の男達の銃弾を受け、帰らぬ人となっています。フランシスコ・ビリャ45歳、1923年7月20日のことです。
彼の名はずっと長い間メキシコ革命の正史から抹殺されつづけていました。革命権力がビリャと敵対関係にあったオブレゴン一党にずっと握られつづけてきたからです。様々な議論の末、彼の名がメキシコ議会で革命の功労者として認知され議会の壁面にその名が刻み込まれるまで、彼の死後43年かかっています。そしてその7年後の1973年に行われたビリャ50周年忌の式典に、ときの大統領エチェベリアが出席して、彼の名誉は完全に回復されることとなりました。
・「メキシコ革命物語 英雄パンチョ・ビリャの生涯」/渡辺建夫/朝日新聞社
・「メキシコ革命 近代化のたたかい」/増田義郎/中央公論社
・「ラテンアメリカ 人と社会」/中川文雄・三田千代子/(株)新評論
・「国際情勢ベーシックシリーズ⑨ラテンアメリカ」/加茂雄三 他/(株)自由国民社