ラクカラチャの謎

トップページ > ドナドナ研究室 > ラクカラチャの謎 4-4

マデロ革命~燃え上がる革命の炎~

1910年、ディアス独裁に反対して彼の再選禁止を唱えるフランシスコ・マデロによって、以後7年間にわたって続くメキシコ革命の口火が切られました。アメリカに亡命していたマデロは、滞在先のテキサス州サン・アントニオ市から、メキシコ国民に公然とディアス政権への反乱を呼びかける「サン・ルイス・ポトシ綱領」なるものを発表したのです。

すわなち、同年に行われた大統領選挙は無効であり、ディアスの大統領就任は違法であること、従って暫定的に自分マデロが臨時大統領となり、憲法にのっとり政治改革を行い民主政治を実現すると宣言。そのためにディアス政府へ宣戦を布告し、メキシコ国民に1910年11月20日をもって一斉に武装蜂起するよう支持する、というものでした。

マデロ革命が始まったとき、パンチョ・ビリャは32歳でした。彼は、この頃チワワ市の北のはずれに家と土地を購入しており、盗んだ家畜を解体して売り飛ばした経験を生かして食肉業を営んでいました。その商売上、ビリャは「アブラアム・ゴンザレス」という財務行政官と知り合うのですが、ビリャは反ディアス政権運動の中心人物であったゴンザレスにひそかにゲリラ部隊を組織するように頼まれ、メキシコ革命運動に加わることになるのです。

1911年3月にはビリャのゲリラ軍はマデロ臨時政府軍に合流し、解放軍北部第一師団として革命軍部隊の指揮官の一人として認められるまでになりますが、同年5月にマデロとちょっとした揉め事を起こしたことで部隊の指揮から外されてしまい、仲間達と分かれて一人チワワ市で、以前と同じ食肉業をしばらく営む時期を過ごします。

1911年5月末にディアスは大統領を辞任、国外へ逃亡し、同年11月にマデロが選挙によって正式な大統領に就任するのですが、1912年3月には当時解放軍のメンバーだったパスクアル・オロスコが、革命後の待遇の悪さからマデロに反感を抱いて反乱をおこします。ビリャはオロスコ討伐のために、食肉業をやめ、市の南西部の村や町、農園などをまわって義勇兵を募り、オロスコ軍と戦うことになります(1912年9月にはオロスコはアメリカに亡命)。

宿敵ビクトリアノ・ウエルタ登場~エリート軍人との確執~

そのオロスコと戦っていた時期に、後マデロ大統領の命令で、政府司令官ビクトリアノ・ウエルタ将軍の指揮下に入るのですが、根っからのエリート軍人であるウエルタとビリャの溝は深く、両者はまったくウマが合いませんでした。

ついにある日、あるささいな揉め事でビリャはウエルタの命令で逮捕され、処刑されることになったのですが、寸前のところでマデロの延期命令によって救われます。マデロはウエルタの顔を立てるためにビリャを陸軍刑務所に入れることで、事態を収拾しました。1912年6月のことです。しかし同年末にはビリャは刑務所を脱獄してアメリカのアリゾナ州へ逃亡しています。

前のページに戻る
次のページへ進む
トップページ > ドナドナ研究室 > ラクカラチャの謎 4-4
前のページに戻る
次のページへ進む
トップページ > ドナドナ研究室 > ラクカラチャの謎 4-4

 

copyright (c) 1998-2008 WORLDFOLKSONG All rights reserved.