リパブリック讃歌の謎

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投機的性質を帯びる奴隷取引

 1850年代に入ってイギリス工業が恐慌から回復したことを受け、アメリカ南部では新たな綿花需要の激増によって綿の値段も輸出量も上がり、南部の綿花王国は繁栄に向かっていました。しかし、その繁栄の内部ではプランテーション経済ないし奴隷制度の矛盾が次第に深刻化していました。

長年の耕作により土地は痩せ、新しい土地購入代が高くついた上に、バージニアその他の土地の疲弊した東部海岸諸州によって奴隷飼育がビジネスとして行れるようになったため、奴隷の価格は50年代に入ると1,200ドル→1,500ドルと上がり、50年代の終わりには1,800ドルから2,000ドルに達するなど高騰の一途を辿っていました。50年代の南部の各州間の奴隷売買は1年平均約5万5千人といわれ、奴隷売買が投機的傾向を帯びるに至っていたのです。もはや奴隷を使った綿花栽培は決して安価なものではなくなっていました。

奴隷逃亡を助ける秘密組織~地下鉄道~

 奴隷価格の高騰を招いたのは投機的な奴隷売買だけが原因ではありませんでした。1850年代に入ると奴隷の逃亡を助ける秘密組織である地下鉄道(アンダーグラウンド・レイルロード/Underground Railroad)の活動が活発化し、彼らの活躍によって逃亡に成功する奴隷の数が次第に増えていき、プランテーションで農奴となるべき労働力の確保が徐々に難しくなっていきました。

 地下鉄道の数々の活動の中でも黒人の「モーゼ」と呼ばれるメリーランドの女奴隷「ハリエット・タブマン(Harriet Tubman 1821-1914)」は、49年に北部へ逃亡して以来、毎年何回となく南部に侵入しては奴隷の逃亡を助け、300人以上の同胞を解放したといわれています。

★参考:「大きな古時計」の作曲者H・C・ワークと「地下鉄道」の関係について→「フォスター特集 H・C・ワーク」

 アボリショニストたちの地下鉄道組織は秘密組織という性格上その全貌は明らかではありませんが、ペンシルヴェニアの地下鉄道の組織者であった「ウィルバー・H・シーベルト(Wilber H. Siebelt)」によれば、そのメンバーは判明しただけでも数千名にのぼっており、逃亡ルートは東部から北西部全域に網の目のように張り巡らされ、彼等の献身的な活動により奴隷制度を禁止していたイギリス領カナダへ逃亡奴隷が次々と送り込まれていったそうです。1830年~60年の30年間に逃亡した奴隷の人数は、個別な資料によって数字はまちまちですが、その数は5万人とも10万人とも言われています。

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