
南北戦争は、北軍の戦死者が36万人、南軍の戦死者が25万8千人という未曾有の消耗戦となりました。当時の大統領リンカーンはあくまでこの戦争の目標を連邦の統一としていましたが、戦争の進行と共に各地で奴隷の暴動・逃亡が頻発していた状況に加え、当時主導権を握っていた奴隷制反対の共和党急進派による圧力の前に、ついに1863年1月1日奴隷解放宣言に署名したことで、この戦争は奴隷解放の大義名分を持った戦いに転化していきました。
そして北軍の勝利に終わった1865年、憲法修正第13条によって、奴隷制度はその法的廃止が確認されたのでした。 その後も憲法修正第14条・第15条等によって黒人に市民権・選挙権が与えられ、多数の黒人が州議会等に進出していきましたが、すぐに南部保守勢力による反革命行動が広まり、クー・クラックス・クラン(KKK)などの組織的暴力によって黒人の政治活動は阻止されていきました。
1877年に連邦軍隊が南部から撤収してからは、奴隷制を支持する民主党独裁の「強固な南部(Solid South)」によって南部の黒人らは小作人となることを余儀なくされ、南北戦争以前と実質的に何ら変わらず地主に従属する半農奴的な境遇に陥っていたのでした。

さらに黒人の選挙権も19世紀末から20世紀初頭にかけて南部諸州の立法によって次々と剥奪されていき、南北戦争で勝ち取った選挙権・市民権を完全に取り戻すには、半世紀以上後の20世紀後半以降の黒人自らによる激しい闘争を待たなければなりませんでした(写真1963年8月、ワシントン大行進にて、I Have a Dreamの演説を行うマーチン・ルーサー・キング牧師/Martin Luther King - March on Washington。出典:ウィキメディア・コモンズ)。