リパブリック讃歌の謎

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墓の下で朽ちようとも、彼の精神は行進する

サムター要塞(1865)

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 やがてサムター要塞(上図)砲撃で内戦が勃発すると、労働と苦悩と無知に繋がれ閉じ込められた南部の黒人奴隷達が本能的に戦争の性質を感じ取り、彼らの間に北軍への共感と解放への希望が急速に広まっていきました。バトラー(Benjamin Franklin butler 1818-1893)の北軍部隊が1861年5月末、ヴァージニア海岸のモンロー要塞とその付近を占領し、彼の陣地へ逃走してきた黒人奴隷たちを保護したとき、2ヶ月の間で1,000人もの逃亡奴隷が自由を求めてバトラーのもとに集まってきたといいます。ジョン・ブラウンは、その1年前にそういう現象を予期してハーパース・フェリの事件を起こしていたのです。

  リンカーンの招集に応じて集まった北軍兵士たちの間には、やがて誰が作ったともなく、「ジョン・ブラウンの身体は墓の下に朽ちても、彼の精神は行進する」という行軍歌が歌われていきます。

 そして、その兵士達の「ジョン・ブラウンの歌」に感銘を受けたブラウンの友人の妻ジュリア・ウォード・ハウ夫人は1862年、そのメロディーに「リパブリック賛歌(共和国闘歌 Battle hymn of the Republic)」という詩を捧げました。

 「彼(キリスト)が人間を清めるために死んだように、我等も人間(奴隷)を解放するために死のう、神が行進する限り」

 ハウ夫人によって生まれ変わったリパブリック賛歌は、アメリカの統一そして奴隷解放に立ち上がる北軍兵士達の士気を鼓舞していったのでした。

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