
1860年の大統領選挙が近づくとともに、ジョン・ブラウンの呼びかけ以来、南部各州の弾圧の強化にしばらく動きのなかった南部奴隷達に大きな動揺が顕著に見られるようになります。1860年7月にはテキサス北部一帯で火災が頻発し、8月にはアラバマ州をはじめとして、ジョージア州、ミシシッピ州、ヴァージニア州でも奴隷暴動計画が発覚しました。
これらの暴動には黒人奴隷だけでなく白人も計画に参加していることが判明し、大量の逮捕・拷問が行われました。陰謀が報告され町が焼き払われ極刑が行われた市や郡は14にも及び、8週間もテロの支配が続いたといいます。
奴隷の暴動が広まりをみせ、ますます態度を硬化させていく南部州と北部州の対立が最高潮に達していた1860年の大統領選挙は、今までにないほどの緊迫した雰囲気の中で行われました。既に北部派と南部派に完全に分離していた民主党からは、北部派としてスティーブン・ダグラスが、南部派からはジョン・ブレッキンリッジが候補者に選出され、共和党からはエイブラハム・リンカーンが指名されていました。
選挙の結果、奴隷制度反対派のリンカーンが当選したことに決意を固めた南部奴隷諸州は、1860年12月、サウスカロライナ州が連邦脱退を宣言したのを皮切りに数ヶ月の間に6つもの州が次々と連邦を脱退(最終的に11州が脱退)し、1861年2月には脱退した南部諸州によりアメリカ連合国(アメリカ連邦)が結成されました。そしてジェファーソン・デーヴィスを大統領におき、奴隷制度を全面的に認める憲法を制定することで、言うまでもなく「南部連邦」が「奴隷主国」に他ならないことを内外に曝け出していったのです。
<奴隷制度に関連するアメリカ連邦(南部奴隷州連邦)憲法の要旨>・ 「黒人奴隷という形の財産を否定するいかなる国法の制定の禁止」
・ 「南部連邦の獲得する全領土において奴隷制度は国会及び準州政府によって承認され保護される」
・ 「他の州で奴隷制が廃止されても他州住民の奴隷所有権に影響しない」
・ 「奴隷制経済を妨げるような工業及び国内改革への国庫助成金や保護関税立法の禁止」