
1850年代は逃亡奴隷の地下鉄道組織の活動が特に盛んになった年で、カンサスを巡る南部と北部の抗争が国内戦争の様相を呈して激化してくるとともに、奴隷の動揺も大きくなっていきました。数年間報じられなかった奴隷暴動は徐々に数を増していき、大統領選挙とカンサスの戦いが最高潮に達していた1856年後半には、9月にテキサスで奴隷暴動計画が発覚したのを皮切りに、アーカンソー、ルイジアナ、フロリダ、ジョージア、南カロライナ、ヴァージニアと奴隷動揺は広範囲に拡大していき、数千人の奴隷が逮捕、数百人が鞭打ち・拷問にかけられたといいます。
折からの南部派による様々な横行に憤激していたジョン・ブラウンは、この1855~57年の奴隷自身の解放欲求の高まりを見て、ついに長年温めていた計画を実行に移すことになります。カンサスでの戦いがほぼ自由州の勝利に終わるとの見通しがついた1858年、彼はミズーリ州から11人の屈強な奴隷に逃亡を持ちかけてカナダとの国境近くまで連れ出し、西ヴァージニアの山地に武装した黒人の拠点(ケネディファーム)をつくりました。そこから奴隷の全面的な一斉蜂起を呼びかけ、黒人奴隷自身の力によって奴隷制度を一挙に廃止しようと計画したのです。この一斉蜂起が成功すれば、西ヴァージニアの民主主義的で奴隷制反対の自営農民や労働者達も賛同してくれるだろうとの読みもあったようです。
Kennedy Farmhouse/courtesy of Institute for Advanced Technology in the Humanities
ジョンブラウンが襲撃の拠点として選んだのは、メリーランド州シャープスバーグ(Sharpsburg, Maryland)にあるケネディ農場(KENNEDY FARM)。元々は、Dr. Robert F. Kennedy氏が所有していた農場で、ケネディ氏の死後、ジョンブラウンが35ドルで借り受けたもの。農場に立てられた小屋はケネディ氏が生前に立てたもので、ハーパース・フェリー襲撃までのしばらくの間、ジョンブラウンとその仲間達はその小屋で寝泊りしていた。
参考サイト:JOHN BROWN.ORG THE KENNEDY FARMHOUSE
ケネディファームに立てられた小屋の実際の写真(過去・現在)がたくさん掲載されている他、ジョンブラウンについての貴重な資料が数多く載せられており非常に資料的価値が高い。