
それでは早速「リパブリック讃歌」が生まれるまでのアメリカの歴史からざっと見ていきましょう。「リパブリック讃歌」への関連性が高い1850年代ぐらいから少し詳しく書いていきますが、その前に1776年のアメリカ独立宣言から1850年までのアメリカ史についてもコンパクトに記述してみたいと思います。ポイントは「奴隷制度」、特に「奴隷制度反対の北部州」「奴隷制度大賛成の南部州」という二つの大局的な視点が重要です。
1776年のアメリカ独立宣言により本国イギリスからの自由を獲得したアメリカは、その後フランスからルイジアナ購入(1803年)、スペインからフロリダ購入(1819年)などの領土拡大政策により、1776年に独立した当初の4倍近くにアメリカの領土は広がっていきました。
さらに1845年のテキサス併合、1846年のオレゴン領有、1848年のアメリカ=メキシコ戦争によりカリフォルニアとニューメキシコ、1853年ガズデン購入など次々と西方へ広がりを見せ、1850年代には大西洋岸から太平洋岸にいたる今日の領土の大半を手中に収めていました。
次々と領土を拡大していったアメリカには、北部(北東部)・南部・西部という三大セクションが形成されていました。工業が発達していた北部では中央集権を唱え、更なる工業化を促進するための保護関税政策を要求していました。これに対して黒人奴隷を使ったプランテーションが発達していた南部では州権論を唱え、中央集権や保護関税政策に反対していました。
西部開拓により新たに州が誕生する際、その州を自由州(奴隷制度を認めない)にするか奴隷州(奴隷制度を認める)にするかで常に争いが起きていました。特に1819年にミズーリ州が連邦に編入される時には議員数の均衡を巡って対立が表面化しましたが、1820年、ミズーリ州に黒人奴隷制度を認めて連邦に編入させる代わりにメイン州をマサチューセッツ州から分離して自由州として連邦に編入させるという「ミズーリ協定」が結ばれて事態は収拾し、今後は北緯36度30分(ミズーリ州の南の境界線)より北では奴隷制度は一切認められないということになりました。