遠き山に日は落ちて(家路)

ドヴォルザーク交響曲第9番「新世界より」第2楽章のメロディ

『遠き山に日は落ちて(家路)』は、ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」第2楽章のメロディに基づき、作詞家・堀内敬三が日本語の歌詞をつけた楽曲。

キャンプファイヤーなどの野外レクリエーションソングとして親しまれている。

ドヴォルザークの同じ作品に独自の歌詞をつけた楽曲としては、1922年にアメリカの音楽家(ドヴォルザークの弟子)が作詞した『Goin' Home』や、日本の作詞家・野上彰による『家路(いえじ)』が知られているが、日本では圧倒的に『遠き山に日は落ちて』の知名度が高い。

作詞:堀内敬三による『遠き山に日は落ちて』の歌詞の意味については後述する。

【試聴】遠き山に日は落ちて

歌詞『遠き山に日は落ちて』 作詞:堀内敬三

1.
遠き山に 日は落ちて
星は空を ちりばめぬ
今日の業(わざ)を なし終えて
心軽く 安らえば
風は涼し この夕べ
いざや 楽し まどいせん
まどいせん

2.
やみに燃えし かがり火は
ほのお今は 鎮まりぬ
眠れ安く いこえよと
さそうごとく 消えゆけば
安き御手(みて)に 守られて
いざや 楽し 夢を見ん
夢を見ん

歌詞の意味は?

『遠き山に日は落ちて』の歌詞では、若干文語的で分かりにくい表現が散見される。

まず、一番の歌詞の「今日の業(わざ)」とは「一日に為すべき所業」、簡単に言えば「一日の仕事」を意味する。

次に、「まどいせん」は、「皆で丸く集まってくつろごう」という意味。キャンプファイヤーや囲炉裏などの火を囲んで団らんする様子が想像される。

「まどい」は「円居/団居」などと漢字表記される。「せん」は意思を表す古語「せむ」の別表記。

御手(みて)はキリスト教と関連?

二番の歌詞では、「安き御手(みて)に守られて」という表現が若干引っかかる。なぜなら、「御手(みて)」という歌詞は、讃美歌や聖歌などではイエス・キリストに関連づけられて使われる表現だからだ。

『遠き山に日は落ちて』の文脈では、子供が親に見守られながら眠りに落ちる様子が描写されているとも解釈できるが、何か別の意味を持たせている可能性もあるのかもしれない。