スペイン無敵艦隊の敗北 アルマダの海戦

太陽の沈まない国 スペイン黄金時代の終焉

16世紀に全盛を迎えた「太陽の沈まない国(日の沈まぬ国)」スペイン帝国。スペイン・ハプスブルク家による支配は、オランダ(ネーデルラント)イタリア南部、メキシコ、南米西岸、フィリピン、マカオなど世界中に及んだ。

スペイン帝国は圧倒的な経済力を背景に強固な海軍力を有し、後の歴史書で「無敵艦隊 Armada Invencible(the Invincible Armada)」と表現されたことはあまりにも有名。

なおスペイン本国では、当時「Grande y Felicísima Armada 祝福された大いなる艦隊」と呼ばれていた。

<右挿絵:スペイン国王カルロス1世の紋章(Coat of Arms)>

イングランドへ侵攻・敗退

1588年5月、スペインは対立していたイングランドへ侵攻を決意。アロンソ・ペレス総司令官率いる約130隻のスペイン無敵艦隊がリスボンを出港、英仏海峡へ向かった。

迎え撃つイングランド艦隊は、王室船34隻、武装商船163隻。商船の中には、海賊ジョン・ホーキンス船長、同じく海賊フランシス・ドレーク(ドレイク)船長(後のイギリス海軍中将)らの私掠船も含まれていた。

イングランド上陸を目指して何度か海戦が繰り返されたが、スペインの無敵艦隊は近接戦闘に重点を置いた攻撃の特性を相手方に読まれて敗退。さらに悪天候が重なり、結局スペインに帰国できたのは約半数の67隻だけだった。

なお、この「アルマダの海戦」では敗れたものの、スペイン無敵艦隊は再び体制を整え、最終的に英西戦争をスペイン側に有利な条件で終結させている。ただ。死傷者は2万人以上におよび、後のスペイン帝国の繁栄に暗い影を落とす不吉な予兆となった。

八十年戦争(オランダ独立戦争/1568-1648)でネーデルラント(オランダ)が独立、1640年にはポルトガルが独立、18世紀初頭にはスペイン王カルロス2世に子供が生まれずハプスブルク家が断絶。スペインの黄金時代は終わりを迎えた。

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