日本の暦の歴史まとめ 旧暦と明治改暦
中国暦から日本独自の暦へ 明治の改暦で年中行事に混乱も
日本の年中行事・伝統行事を理解するうえで避けて通れない「日本の暦の歴史」について、時代を大きく3つに分けて簡単にまとめてみた。
大雑把に言えば、江戸初期までは中国歴、江戸中期からは日本独自の暦、明治初期以降はグレゴリオ暦の3つの時代に分けられる。明治初期の旧暦から新暦への転換により、七夕など現代日本の年中行事にも大きな影響が残っている。
江戸初期までは中国暦
6世紀頃、中国の暦が日本に伝来した。飛鳥時代から江戸時代までいくつかの中国暦が採用されたが、特に重要なのが、800年以上使用された宣明暦(せんみょうれき)。
宣明暦は、太陰太陽暦(たいいんたいようれき)に基づき、新月は朔(さく)、満月は望(ぼう)と呼ばれ、新月の朔日(さくじつ)が月の初めの日とされた。
宣明暦は862年から1685年まで823年間も使用され、日本の伝統文化にも大きな影響を与えたが、末期にはさすがに誤差が大きくなっていたようだ。
江戸中期から日本独自の暦へ
日本独自の暦法「貞享暦(じょうきょうれき)」が天文暦学者の渋川春海によって完成され、1685年から1755年の70年間使用された。
その後は宝暦暦(1755-1798)、寛政暦(1798-1844)、天保暦(1844-1872)と、明治初期まで日本独自の暦が使用され続けている。
現代の日本における「旧暦」とは、最後の「天保暦」を指している(厳密には異なる)。現代のカレンダーからも旧暦が自動的に算出されるが、2033年に天保暦は破綻してしまう運命にある。
明治6年にグレゴリオ暦導入
明治6年(1872年頃)、明治政府の布告により新たにグレゴリオ暦が導入され、天保暦は旧暦となった(明治改暦)。
天保暦は明治5年12月2日までとなり、明治5年12月3日は強制的に明治6年(1873年)1月1日と置き換えられた。
新暦は旧暦と比べて1か月季節がずれているため、現代日本におけるお盆の時期や七夕の時期のズレとして大きな影響を残している。
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