お江戸日本橋

日本の民謡/歌で巡る東海道五十三次

『お江戸日本橋』は、東海道五十三次の道中を歌詞に歌い込んだ日本の民謡。

東京・日本橋を出発して、小田原、箱根、沼津、浜松、岡崎、亀山、草津、そして京都・三条大橋までまで、124里8丁、およそ500kmに渡る東海道中の地名・名所が次々と登場する。

歌川 広重:東海道五十三次之内 日本橋(カラー補正版)

原曲は江戸時代の俗謡

『お江戸日本橋』の原曲・ルーツは、江戸幕府の第11代征夷大将軍・徳川 家斉(いえなり)、第12代将軍・徳川 家慶(いえよし)の時代までさかのぼる。

天保期の当時流行っていた俗謡『はねだ節』が、やがて「コチャエ、コチャエ」の囃子詞(はやしことば)を伴った『コチャエ節』となり、さらに東海道五十三次の替え歌が作られ、『お江戸日本橋』が誕生したという。

【YouTube】三味線演奏 『お江戸日本橋』

【YouTube】お江戸日本橋 氷川きよし 小林幸子 藤あや子

歌詞の一例: 民謡『お江戸日本橋』

1
お江戸日本橋七つ立ち 初上り
行列揃えて あれわいさのさ
こちや 高輪 夜明けの提灯消す

こちやえ こちやえ

2
恋の品川女郎衆に 袖ひかれ
のりかけお馬の鈴が森
こちや 大森細工の松茸を

3
六郷あたりで川崎の まんねんや
鶴と亀との米まんじゆう
こちや 神奈川いそいで保土ヶ谷へ

4
痴話で口説は信濃坂 戸塚まあえ
藤沢寺の門前で
こちや とどめし車そ綱でひく

5
馬入りわたりて平塚の 女郎衆は
大磯小磯の客をひく
こちや 小田原評議で熱くなる

6
登る箱根のお関所で ちょいと捲り
若衆のものとは受取れぬ
こちや 新造じゃぢゃないよと ちょいと三島

7
酒もぬまずに原つづみ 吉原の
富士の山川 白酒を
こちや 姐さん出しかけ蒲原へ

8
愚痴を由井だす(さった)坂 馬鹿らしや
絡んだ口説きも興津川
こりや 欺まして寝かして恋の坂

9
江尻つかれてきは府中 はま鞠子
どらをうつのかどうらんこ
こりや 岡部で笑はば笑わんせ

10
藤枝娘のしをらしや 投げ島田
大井川いと抱きしめて
こちや いやでもおうでも金谷せぬ

11
小夜の中山 夜泣石 日坂の
名物わらびの餅を焼く
こちや いそいで通れや掛川へ

12
袋井通りで見附けられ 浜松の
木陰で舞坂まくり上げ
こちや 渡舟(わたし)に乗るのは新井宿

13
お前と白須賀 二タ川の 吉田やの
二階の隅ではつの御油
こちや お顔は赤坂 藤川へ

14
岡崎女郎衆は ちん池鯉鮒 よくそろい
鳴海絞りは宮の舟
こちや 焼蛤をちょいと桑名

15
四日市から石薬師 願をかけ
庄野悪さをなおさんと
こちや 亀薬師を伏し拝み

16
互いに手を取り急ぐ旅 心関
坂の下から見上ぐれば
こちや 土山つつじで日を暮らす

17
水口びるに紅をさし 玉揃ひ
どんな石部のお方でも
こちや 色にまようてぐにやぐにやと

18
お前と私は草津縁 ぱちやぱちやと
夜毎に搗いたる姥ヶ餅
こちや 矢橋で大津の都入り

「七つ立ち」って何時頃?

江戸時代には、時刻を知らせるために鐘が打ち鳴らされ、人々は時刻をこの時鐘の数で呼んでいた。陰陽思想に基づき鐘は二時間毎に9の倍数で打たれ、本来なら9,18,27,36となるところを十の位は省略して、昼をスタートとして一の位の9,8,7,6と鳴らされる。

この時鐘での呼び名に基づけば、『お江戸日本橋』の冒頭の歌詞にある「七つ立ち」とは、「暁7つ」、すなわち午前4時前後の時間帯を指すことになる。さらに歌詞には「夜明けの提灯消す」とあり、まだ夜が明けない暗闇の中を提灯を持って出発していることが分かる。

ちなみに、14時前後に鐘が8回鳴らされていた「昼8つ」は、現代の間食タイム「おやつ」の語源ともなっている。

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地名ダジャレソングの元祖? 『恋の山手線』のルーツ

『お江戸日本橋』のように、地名(駅名)が次々と歌詞に歌い込まれている歌と言えば、山手線の駅名が上野から内回りで登場する『恋の山手線』が今日では有名(同名の新作落語が元ネタ)。

『恋の山手線』では、ただ単に駅名が羅列されるのではなく、ストーリーにそって「デート誘いに池袋 ところが男が目白押し」などとダジャレ・ギャク要素を全面に押し出したコミックソングとなっている。

このコミックソング的なダジャレ要素は、民謡『お江戸日本橋』の中にも数多くみられる。例えば、「酒もぬまずに原つづみ」、「袋井通りで見附けられ」、「お前と私は草津縁」など、『恋の山手線』のルーツとも言うべき地名ダジャレが随所に散りばめられている。

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