東京ラプソディ 歌詞の意味

楽しい都 恋の都 夢のパラダイスよ 華の東京

「花咲き 花散る宵も」が歌い出しの『東京ラプソディ』は、作詞:門田ゆたか、作曲:古賀政男により1936年(昭和11年)に発表された戦前の昭和歌謡。歌:藤山一郎。

歌詞では、銀座、神田、浅草、新宿といった東京を代表する繁華街が取り上げられ、「楽しい都 恋の都 夢の楽園(パラダイス)よ 華の東京」と締めくくられる。

銀座四丁目交差点

写真:銀座四丁目交差点(出典:Wikipedia)

ちなみに「ラプソディ」とは、「狂詩曲」とも訳される音楽スタイルの一つ。特にクラシック音楽などで、自由な楽想で民族的・叙事的な内容を表現した楽曲を意味している。

『東京ラプソディ』の歌詞で言及されるキーワードについて、その意味するところを簡単に補足してみたい。

【YouTube】 東京ラプソディ(5番歌詞付き)藤山一郎

歌詞

花咲き花散る宵も
銀座の柳の下で
待つは君ひとり 君ひとり
逢えば行く 喫茶店(ティルーム)
楽し都 恋の都
夢の楽園(パラダイス)よ 花の東京

現に夢見る君の
神田は想い出の街
今もこの胸に この胸に
ニコライの 鐘も鳴る
楽し都 恋の都
夢の楽園(パラダイス)よ 花の東京

明けても暮れても歌う
ジャズの浅草行けば
恋の踊り子の 踊り子の
ほくろさえ 忘られぬ
楽し都 恋の都
夢の楽園(パラダイス)よ 花の東京

夜更けにひととき寄せて
なまめく新宿駅の
あの娘はダンサーか ダンサーか
気にかかる あの指輪
楽し都 恋の都
夢の楽園(パラダイス)よ 花の東京

銀座ライオンのルーツ

『東京ラプソディ』一番の歌詞では、「銀座の柳の下で…逢えば行く喫茶店(ティールーム)」と歌われている。

同曲が発表された1936年(昭和11年)当時、喫茶店の形態としては、飲食と共にウェイトレスの接待サービスを主体にした「カフェー」と、あくまでコーヒーや軽食を主体とした「純喫茶」の二つが存在していた。

『東京ラプソディ』の歌詞にある「喫茶店」は、この後者の純喫茶の方。

ちなみに、かつて銀座に存在した「カフェー・ライオン」は、1931年(昭和6年)に買収されビアホールとなり、現在の銀座ライオンにつながっている。

神田ニコライ堂

『東京ラプソディ』二番の歌詞「ニコライの鐘も鳴る」の「ニコライ」とは、東京都千代田区神田駿河台にある正教会の大聖堂のこと。

1891年に竣工し、駿河台の高台で御茶ノ水界隈の景観に存在感を示した。

ニコライ堂 東京都千代田区神田駿河台

正式名称は「東京復活大聖堂」だが、日本に正教会の教えをもたらした聖ニコライの名から「ニコライ堂」として親しまれている。

写真:ニコライ堂(東京都千代田区神田駿河台/出典:Wikipedia)

ジャズの浅草

『東京ラプソディ』三番の歌詞では、「明けても 暮れても 歌う ジャズの浅草行けば」と歌われている。浅草は、東京におけるジャズ発展に大きな役割を果たしてきた。

HUB(ハブ)浅草店

写真:HUB(ハブ)浅草店(出典:東京浅草どっとこむ)

戦前の日本におけるジャズの歴史としては、すでに大正時代の横浜や神戸を中心に、アメリカの船員達がニューオリンズ・スタイルのジャズを日本で演奏していた。

大正時代に日本人ジャズバンドも結成され、神戸や大阪のダンスホールなどでジャズ演奏が行われていたが、大正天皇崩御をきっかけに一部のバンドが東京へ移っていった。

昭和初期に浅草電気館でジャズ演奏が行われたのが東京ジャズ史の始まりとも。以後、ジャズと浅草は深く結びつき、ジャズコンテストなどが開催されるなど、ジャズの街として広く親しまれている。

ちなみに、英国風パブ「HUB(ハブ)」浅草店では、他の店舗とは異なり、店内にはジャズのステージが常設され、連日連夜にわたってジャズの生演奏を楽しむことができる。

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