黒田節 酒は飲め飲め 飲むならば

福岡県民謡/飲みとるほどに飲むならば これぞまことの黒田武士

福岡県民謡『黒田節』(くろだぶし)に歌われる黒田武士といえば、豊臣秀吉の側近として仕えた黒田官兵衛(かんべえ)の名前が思い出される。本名は黒田孝高(よしたか)。出家後は黒田如水と名乗った。

豊臣秀吉の参謀・軍師として数々の戦いを勝利に導き、関ヶ原の戦いでは徳川方で武功を挙げた。2014年放送のNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」では、この黒田官兵衛がドラマの主役となった。

酒は飲め飲め 飲むならば
日の本一の この槍を
飲みとるほどに 飲むならば
これぞまことの 黒田武士

(写真:博多駅前の「黒田節」像)

黒田官兵衛と黒田節との関係は?

民謡『黒田節』における「酒は飲め飲め・・・」の歌詞には、黒田官兵衛に仕えた武将・母里友信(もり とものぶ/通称:太兵衛)が残した有名な逸話が描写されているという。

この逸話には後世に伝えられる過程で様々な創作・脚色が加えられ、いくつかのバリエーションが存在する。参考までに、代表的なあらすじ・ストーリーをご紹介しよう。

官兵衛の息子・黒田長政の使者

ある時、母里友信(太兵衛)は、黒田官兵衛の息子・黒田長政の使者として、京都伏見城に滞留していた福島正則の元へ使わされた。

福島 正則(ふくしま まさのり)は、豊臣秀吉の下で軍功をあげ、賤ヶ岳の七本槍と称賛された戦国武将。大酒飲みで酒癖が悪かったと伝えられている。

飲み干せたならば好きな褒美をとらす

屋敷に招かれた太兵衛は、福島正則から酒を勧められた。太兵衛も酒豪ではあったが、今は黒田長政の使者という立場上、酒の勧めを固く断った。

だが福島正則は大盃になみなみと酒を注ぎ、「飲み干せたならば好きな褒美をとらす」と太兵衛に酒を勧めた。それでも太兵衛は頑なにこれを拒み続けた。

あまりの堅物ぶりに業を煮やした正則は、ひとつ煽りを入れてやろうと、「黒田武士は酒に弱い、酔えば何の役にも立たない」と言い放ち、太兵衛を挑発した。

黒田家の名を貶めるような正則の挑発に腹を決めた太兵衛は、酒がなみなみと注がれた大盃を持ち上げ、一気にこれを飲み干した。そして「好きな褒美をとらす」との言葉を受けて、福島正則の名槍「日本号(ひのもとごう/にほんごう)」を所望した。

天下の名槍「日本号」

「日本号」は、全長3.2m、総重量2.8kgの大身槍で、元来は皇室所有物として「正三位」の位を賜ったという伝承から、「槍に三位の位あり」と謳われた天下の名槍。

室町幕府十五代将軍・足利義昭に下賜された後、織田信長から豊臣秀吉に渡り、秀吉より福島正則に武功の褒美として与えられた由緒ある逸品であった。

いくら酒の席での売り言葉とはいえ、「日本号」は豊臣秀吉から賜った唯一無二の名槍であり家宝。軽々しく応じられるものではなく、正直不覚をとった福島正則だったが、「武士に二言は無い」と太兵衛に迫られ、断りようのなくなった正則は、「日本号」を友信に与えることと相成った。

黒田武士の面子を守った黒田官兵衛の家臣・母里友信(太兵衛)の逸話は、雅楽の越天楽のメロディに歌詞がつけられた歌曲(今様)の替え歌の一つとして歌い継がれ、今日の福岡県民謡『黒田節』(黒田武士)として伝えられている。

その後「日本号」は、後藤基次(又兵衛)から野村家を経て、いったん同家を離れたものの、安川電機の創業者・安川敬一郎らによって黒田家へ買い戻され、後に福岡市に寄贈された。現在は福岡市博物館の所蔵品として展示されている。

日本の民謡・童謡・唱歌 歌詞と視聴

【試聴】赤坂小梅 祝い唄 黒田節

【試聴】今泉悠 日本舞踊 黒田節

歌詞:民謡『黒田節』

酒は飲め飲め 飲むならば
日の本一の(ひのもといちの)この槍を
飲みとるほどに 飲むならば
これぞまことの 黒田武士

峰の嵐か 松風か
訪ぬる人の 琴の音か
駒をひきとめ 立ち寄れば
爪音(つまおと)高き 想夫恋(そうふれん)

春の弥生の あけぼのに
四方(よも)の山辺を 見渡せば
花のさかりも 白雲の
かからぬ峰こそ なかりけれ

花たちばなも 匂うなり
軒の菖蒲(あやめ)も かおるなり
夕暮れ前の 五月雨(さみだれ)に
山ほととぎす 名のりして