同期の桜 歌詞と原曲について

西條八十『戦友の唄(二輪の桜)』を原曲とする戦時流行歌

「貴様と俺とは」が歌い出しの『同期の桜』は、太平洋戦争時に兵士らの間で歌われた戦時流行歌

原曲は、西條 八十 (さいじょう やそ)作詞、大村能章作曲による『戦友の唄(二輪の桜)』(1938年出版)。歌詞は後掲する。

靖国神社 参道の桜

写真:靖国神社 参道の桜(出典:Wikipedia)

元々は陸軍兵士を意図とした歌だったが、帖佐 裕(ちょうさ・ひろし)海軍大尉が海軍兵学校向けに替え歌した。ただし、帖佐氏による歌詞は現在の1番・2番・5番部分で、「航空隊」に関する3番と4番は作者不明。

戦後、終戦まで海軍航空隊に所属していたスター歌手の鶴田浩二が、特攻隊員の心情を綴った日記を曲を伴奏に読み上げレコード化。一般の国民にも広く知られる流行歌となった。

【試聴】 同期の桜

歌詞『同期の桜』

貴様と俺とは 同期の桜
同じ兵学校の 庭に咲く
咲いた花なら 散るのは覚悟
みごと散りましょ 国のため

貴様と俺とは 同期の桜
同じ兵学校の 庭に咲く
血肉分けたる 仲ではないが
なぜか気が合うて 別れられぬ

貴様と俺とは 同期の桜
同じ航空隊の 庭に咲く
仰いだ夕焼け 南の空に
未だ還らぬ 一番機

貴様と俺とは 同期の桜
同じ航空隊の 庭に咲く
あれほど誓った その日も待たず
なぜに死んだか 散ったのか

貴様と俺とは 同期の桜
離れ離れに 散ろうとも
花の都の 靖国神社
春の梢に 咲いて会おう

原詩「二輪の桜」について

同期の桜』歌詞の原詩とされる、西条八十「二輪の桜」について若干補足。これは少女向け雑誌「少女倶楽部」昭和13年(1938年)2月号に掲載された詩。

1937年(昭和12年)7月7日、盧溝橋事件を発端とする第2次上海事変が発生。この事変で恋人を失った少女のために、次のような「二輪の桜」が雑誌に掲載された。

君と僕とは二輪のさくら 
積んだ土嚢の陰に咲く
どうせ花なら散らなきゃならぬ 
見事散りましょ 皇國(くに)のため

君と僕とは二輪のさくら 
同じ部隊の枝に咲く
もとは兄でも弟(おとと)でもないが 
なぜか氣が合うて忘られぬ

君と僕とは二輪のさくら 
共に皇國(みくに)のために咲く
昼は並んで 夜は抱き合うて 
弾丸(たま)の衾(ふすま)で結ぶ夢

君と僕とは二輪のさくら 
別れ別れに散らうとも
花の都の靖國神社 
春の梢で咲いて会ふ

<引用:西條 八十『二輪の桜』雑誌「少女倶楽部」昭和13年(1938年)2月号より>

ここでの「君」は少女、「僕」は少女から見た恋人を意味する。

雑誌「少女倶楽部」昭和16年4月号 表紙

写真:雑誌「少女倶楽部」昭和16年4月号 表紙(出典:ブログ「郷愁倶楽部」)

原曲『戦友の唄(二輪の桜)』

雑誌「少女倶楽部」に掲載された原詩を元に、戦時歌謡『戦友の唄(二輪の桜)』が昭和14年(1939年)7月に発表された。歌詞は3番まで。


君と僕とは 二輪の桜
同じ部隊の 枝に咲く
血肉分けたる 仲ではないが
なぜか気が合うて 離れられぬ


君と僕とは 二輪の桜
積んだ土嚢の 影に咲く
咲いた花なら 散るのは覚悟
見事散りましょう 国のため


君と僕とは 二輪の桜
別れ別れに 散ろうとも
花の都の 靖国神社
春のこずえで 咲いて会う

<引用:西条八十『戦友の唄(二輪の桜)』作曲:大村能章>

3番までのこの曲を海軍兵学校向けに替え歌した『同期の桜』も、当初は3番までの歌だったが、後に「航空隊」向けに歌詞が追加され、全部で5番までの曲になっている。

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