日本では表彰式のBGMとして定番の「見よ、勇者は帰る」は、ドイツ生まれでイギリスに帰化した作曲家ヘンデルのオラトリオ「ユーダス・マカベウス(Judas Maccabaeus)」に登場するメロディーの一つ。1747年4月にロンドン中心部のコヴェント・ガーデンで初演された。
海外ではスイスの牧師エドモンド・ルイス・バドリー(Edmond Louis Budry/1854-1932)が1884年に歌詞をつけ、賛美歌「Thine Is the Glory(栄光は汝に)」として広く歌われるようになった(右画像:フレデリック・ヘンデル/出典:Wikipedia)。
ヘンデルは、大バッハと並ぶバロック音楽最大の作曲家とされ、「音楽の母」と呼ばれることもある。大バッハと同年に現ザクセン=アンハルト州のハレに生まれ、父の期待に従いハレ大学で法律を学んだが音楽への情熱を断ち切れず、ハンブルクへ出てオペラで成功した。1710年ハノーファー選帝侯(後のイギリス王ジョージ1世)の宮廷楽長となったが、宮廷楽長の地位はそのままに1712年にはロンドンに移住し、1727年には正式にイングランドに帰化した。
大バッハが主として教会の礼拝で用いる音楽(教会音楽)で活躍したのに対し、ヘンデルはオペラや(劇場用の)オラトリオなど、劇場用の音楽で本領を発揮した。特に、「ハレルヤ・コーラス」を含むオラトリオ『メサイア(救世主)』や、オペラ『リナルド』のアリア「私を泣かせてください」などは世界的に有名である。
17世紀後半のイギリスでは、名誉革命によってカトリック教徒のジェームズ2世が退位し、プロテスタントのメアリー女王が即位したが、スコットランドを中心とするカトリック勢力はその後もジェームズ2世の血統に属するステュアート家の復興を目指していた(この勢力をジャコバイトという)。
名誉革命で王位を追われたジェームズ2世の孫ボニー・プリンス・チャーリーは1745年にグレンフィナンで反乱の旗を揚げ、同年9月には首都エディンバラを陥落し、その後の戦いでも圧倒的な勝利を収めたが、イングランド軍の圧倒的兵力の前に退却を余儀なくされ、ついには1746年4月のカロドン・ミュアの戦いで決定的な敗北を喫することとなった。

カロドン・ミュアの戦い(1746年/左がジャコバイト 右がイングランド軍/出典:Wikipedia)
ヘンデルは当初劣勢だったイングランドを励まそうとオラトリオ「Judas Maccabaeus」を作曲し始めたが、1746年のカロドン・ミュアの戦いでイングランド軍が大勝利を収めると、この戦いを指揮した活躍したカンバーランド公爵ウィリアム・オーガスタス(Prince William Augustus, Duke of Cumberland)を讃えるセリフを台本に書き加え、その勝利を全面にオラトリオの中で表現した。
オラトリオの初演はその翌年の1747年4月。従って、「見よ、勇者は帰る」の「勇者」とは、このカンバーランド公爵ウィリアム・オーガスタス及びイングランド軍を(暗に)指すとの解釈ができる。ちなみに、ジャコバイトの反乱については、スコットランド民謡「ロック・ローモンド」、同じくスコットランド民謡「マイボニー」にも(暗に)歌い込まれている。
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