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| キエフの大門(ヴィクトル・ハルトマン作)出典:Wikipedia |
組曲『展覧会の絵』は、ロシア国民楽派を代表する作曲家ムソルグスキーによる1874年のピアノ組曲。
友人のヴィクトル・ハルトマン(ガルトマン)の遺作展を歩きながら、そこで見た10枚の絵の印象を音楽に仕立てた。ロシアにとどまらずフランス、ローマ、ポーランドなど、さまざまな国の風物が描かれている。
ムソルグスキー(Modest Petrovich Mussorgsky/1839-1881)は、19世紀後半のロシアで民族主義的な芸術音楽の創造を志向した作曲家集団「ロシア五人組(The Five/The Mighty Handful)」の一人。
ロシアの史実や現実生活を題材とした歌劇や諷刺歌曲の作品が多く、代表曲は、組曲『展覧会の絵』の他、歌劇『ボリス・ゴドゥノフ』や管弦楽曲『禿山の一夜(Night on Bald Mountain)』などがある。
ちなみに「ロシア五人組(The Five/The Mighty Handful)」の他のメンバーは、ミリイ・バラキレフ(1837-1910)、ツェーザリ・キュイ(1835-1918)、アレクサンドル・ボロディン(1833-1887)、ニコライ・リムスキー=コルサコフ(1844-1908)の5人。バラキレフがリーダー的存在だったとされている。
ヴィクトル・ハルトマン(ガルトマン/Viktor Alexandrovich Hartmann/1834-1873)は、サンクトペテルブルク出身のロシアの建築家・画家。
伝統的なロシアのモチーフを自作にとり入れた最初の美術家の一人。ムソルグスキーの親友(写真:ヴィクトル・ハルトマン/出典:Wikipedia)。
ハルトマンは幼くして孤児になり、サンクトペテルブルクの有名な建築家であったおじに引き取られた。ペテルブルク美術アカデミーに学び、当初は挿絵画家として活動した。ノヴゴロドのロシア開基一千周年の記念碑をデザインし、1862年に除幕式が行われた。1864年から1868年まで外国に旅して、水彩画や鉛筆画を残した。
ロシアの芸術評論家スターソフの紹介で、ロシア「5人組」の一人バラキレフとの交流を持ち、1870年頃からムソルグスキーの親友となった。39歳で動脈瘤により夭折(ようせつ)した後、1874年の2月から3月まで、400点の遺作が母校ペテルブルク美術アカデミーに展示された。
ムソルグスキーはこの展覧会でのハルトマンの絵からインスパイアを受け、ピアノのための組曲『展覧会の絵』を作曲した。現在、この展示のほとんどの作品が散逸している。
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ユニバーサル ミュージック クラシック |
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