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| モーツァルト:レクイエム |
「レクイエム ニ短調 K.626」は、モーツァルト作曲「死者のためのミサ曲」の中で彼の遺作となった楽曲。
ヴェルディ、フォーレの作品とともに「三大レクイエム」の一つに数えられる。
モーツァルトの早すぎた死により、作品は未完のまま残された。モーツァルト自身が作曲したものは「第1曲 入祭唱」のみで、「第3曲 怒りの日」を含む残りの13曲は、彼の弟子フランツ・クサーヴァー・ジュスマイアにより補筆完成された。
怒りの日(ディエス・イレ/Dies irae)とはキリスト教の終末思想の一つ。世界の終末の日に過去の全ての人間を地上に復活させ、天国に行けるか地獄に落とされるか、その生前の行いに審判が下される日を指す。
なお、フランツ・リスト作曲「死の舞踏 Totentanz (Dance of Death)」では、伝統的な古い「怒りの日(ディエス・イレ)」の旋律が繰り返し用いられている。
【関連ページ】 ヴェルディ 『怒りの日(ディエス・イレ)』
【関連ページ】 フォーレ 『レクイエム(Requiem)』
【関連ページ】 アマデウス・モーツァルト特集へ
1791年、モーツァルトはウィーンの聴衆の人気を失い苦しい生活を送っていた。旧知のシカネーダー一座から注文を受けた『魔笛』K.620の作曲をほぼ終えたモーツァルトが8月末にプラハへ出発する直前、見知らぬ男が彼を訪ねた。男は匿名の依頼主からのレクイエムの作曲を依頼し、高額な報酬の一部を前払いして帰っていった。
9月中旬、プラハから戻ったモーツァルトは『魔笛』の残りを急いで書き上げ、9月30日の初演に間に合わせる。その後レクイエムの作曲に取りかかるが、体調を崩しがちとなり11月20日ころには床を離れられなくなってしまう。12月になり病状はさらに悪化して、モーツァルトは再び立ち直ることなく、12月5日の未明に帰らぬ人となった。
【関連ページ】 ヴェルディ 『怒りの日(ディエス・イレ)』
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