塩の行進 ガンジー インド

マハトマ・ガンディー(Mahatma Gandhi/1869-1948)

20世紀前半、イギリス支配下のインドでは、イギリスにより塩の独占的製造・販売が行われていた。本来、塩は一般市民でも海岸にいけば簡単に作ることができたが、塩の精製はイギリスによる法で禁止されており、違反者は処罰されてしまう状況にあった。

日常生活における塩の重要性は言うまでもなく、塩の専売に対するインド国民の不公平感・不満は日増しに大きいものとなっていった。

ついに立ち上がるガンジー

1929年12月31日、ガンジー(ガンディ)が参加するインド国民会議はラヴィ川の土手で独立の旗を掲揚すると、翌年1月26日にインド完全独立「プールナ・スワラージ(Purna Swaraj」を決議。2月5日の新聞で、塩の専売に抗議する大規模な市民的不服従運動の計画が報じられた。

3月2日にインド総督のアーウィン卿に送った要求文が無視されると、3月12日、ガンジーと約78人の支持者は、海岸で塩を作るため、徒歩でグジャラート州のダンディー海岸の村に向けて行進を開始した。有名な「塩の行進」がこの時まさに第一歩を踏み出したのである。

400km近く離れた海岸まで23日間かけた「塩の行進」は、途中で人々の支援を受け、参加者を次々と取り込んでいき、最後には数千人の人々がガンジーと海岸までの道のりを共にした。

4月5日に海岸へたどり着いたガンジーは、泥と塩のかたまりを掲げて言った。「これで、私は大英帝国の土台を揺るがしたのだ」。

右写真は、海岸で泥と塩の塊を持ち上げるガンジー。この「塩の行進」は以後の独立運動の機運を高め、イギリスに対する抵抗運動の流れにおける大きな転換点となっていった。

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