アイルランドのカトリックとプロテスタント

イングランドの名誉革命からボイン川の戦いまで

イングランドとアイルランドにおけるプロテスタントとカトリックの対立は、プロテスタント系のオランダ総督オレンジ公ウィレム3世(ウィリアム3世)(右挿絵)がカトリック教徒のジェームズ2世を追放した名誉革命(1688年)の頃から激化していく。

当時オランダはカトリック教国のフランスと対立しており、包囲網構築のためイギリスをプロテスタント系優位に導くべく、ウィレム3世が自らオランダ軍を率いてイングランドに上陸。

カトリック系のジェームズ2世をフランスに追放し、1人の死者も出さない無血クーデターであったため、後に「名誉革命」と呼ばれている。

カトリックが多数派を占めていたアイルランドはジェームズ2世を支持。アイルランド全土で兵を募りジャコバイト軍を結成すると、ジェームズ2世もフランスからの援軍6,000を得て合流し、プロテスタントの拠点の1つであるアイルランド北部アルスターの都市ロンドンデリーを包囲した。

ウィリアマイト戦争 The Williamite war

これに対し、ウィリアム3世を支持する勢力「ウィリアマイト Williamite」は、軍備・訓練の劣るジャコバイト軍を次々と撃破したが、貧弱な補給線と慣れない気候で病になやまされ、一時期戦線は膠着した。

両軍の争いに事実上の決着がつくのは1690年7月のこと。しびれを切らしたウィリアム3世が自らアイルランドに上陸。36,000のイングランド・オランダ連合軍を率いて、ボイン川(The River Boyne)河畔でジェームズ2世率いる抵抗軍に壊滅的打撃を与え敗走させた。

この「ボイン川の戦い(Battle of the Boyne)」(上挿絵)でイングランド・オランダ側の勝利は決定的なものとなり、以後アイルランドは19世紀まで少数のプロテスタントによって支配され、カトリック刑罰法(処罰法)による差別と弾圧が激しさを増していくことになる。

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歌詞の一部ではジャコバイトとの戦いについても言及している