
最低ランクの三等水兵に格下げされ、脱走歴のある下っ端として以前よりも辛い兵役についていたジョン(当時21歳前後)にとって、大きなチャンスが訪れます。
アフリカ南西の岬である喜望峰(the Cape of Good Hope)への長旅の準備のために、ハリッチ号がアフリカ北西海岸沖カナリア(Canaries)諸島の北方にあるマデイラ(Madeira)島に停泊していた時、ハリッチ号の船員がギアナの商船から二人の腕のある船員を強制徴兵したところ、商船の方も人が少なくなるのは困るとのことで、代わりの船員を二人交換する形を取ることになったのです。
この様子を見ていたジョンは、脱走による格下げで辛く厳しい待遇から逃れるため、交換要員の一人として自分を任命してもらうようカートレット船長に懇願しました。うまくいけば割と早くイングランドへ戻れるかもしれないとの期待もあったようです。カートレット船長は、脱走歴のある三等水兵を厄介払いできるいいチャンスと考え、彼の必死の要望を受け入れました。ジョンは見事に軍役から解放されたのです。ただ、民間商船の使用人として新たな船出を待つ彼の前に、今後の人生の針路を大きく変えることになる運命の荒波が待ち受けていようとは、この時の彼は知るよしもありませんでした。

ジョンが乗船したギニア商船は、三角貿易(the Triangular Trade)に携わる商船でした。三角貿易とは、イギリスから持ち込んだ衣類や生活用具、武器を黒人達と物々交換し、その後西インド諸島やアメリカ南部の植民地で黒人達を砂糖やたばこなどと交換し、それをイギリスへ持ち帰るというものでした。
ちなみに、アメリカ南部の植民地に運ばれた黒人達により収穫された綿花はイギリスへ輸出され、産業革命の基盤となったとされています。なお、アメリカ南部の黒人達をめぐって以後のアメリカで国を二分する未曾有の国内戦争が発生したことについては、『ドナドナ研究室No.006 リパブリック讃歌 歴史編』で詳しく解説しています。
ジョンは約半年間、アフリカ南部から川の河口付近へ集められた黒人達を集めて船に乗せる役務をこなしていきました。一連の作業が身についてくると、商船のオーナーであったクロー氏(Mr Clow)に認められ、シエラ・レオネ(the Sierra Leone)の河口付近での作業を一人で任されるようになります。
この頃のジョンは22歳前後で若く体力もあり、熱帯地方での過酷な作業も精力的にこなしていたのですが、ある時熱病にかかって動けなくなる程に体調を崩してしまい、ある地元の黒人女性に助けを求めます。ところが助けを求めたはずの彼が受けた待遇は、病人への「助け」とは程遠いものでした。
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