スラヴ行進曲 チャイコフスキー

オスマン帝国に反旗を翻したセルビアとロシア義勇軍の活躍

『スラヴ行進曲』(スラブ行進曲)変ロ短調 作品31は、ロシアの作曲家ピョートル・チャイコフスキーが1876年に作曲した演奏会用行進曲。

オスマン帝国に対して反乱を起こしたセルビアと、スラブ系の同胞を救おうと駆けつけたロシア義勇軍の活躍が描かれる。

セルビアの首都ベオグラードの共和国広場

ロシア帝国国歌『神よツァーリを護り給え』が終盤に引用されているほか、いくつかのセルビア民謡が序盤と中間部で使われている。

写真:セルビアの首都ベオグラードの共和国広場(出典:Wikipedia)

【試聴】カラヤン指揮『スラヴ行進曲』 ベルリンフィル

セルビアの反乱とオスマン帝国

『スラヴ行進曲』が作曲された1876年は、セルビア、ボスニア、ブルガリアなど、バルカン半島でオスマン帝国に対する反乱が頻発しており、鎮圧時にオスマン軍による残虐行為が西欧諸国で報道されていた。

ロシアのピアニスト、ニコライ・ルビンシテイン(ルービンシュタイン)は、犠牲になったセルビアのスラヴ人らを追悼するため、親友のチャイコフスキーに作曲を依頼。

チャイコフスキーはわずか5日間で『セルビア=ロシア行進曲』を書き上げ、1876年11月にモスクワで初演を行った。後に改稿され、現在の『スラヴ行進曲』となっている。

ちなみに翌年の1877年には、ロシア帝国とオスマン帝国の間で露土戦争(ろとせんそう)が勃発。ロシア帝国とスラヴ系諸国側が勝利し、セルビアは独立を果たしている。

曲の構成とセルビア民謡

『スラヴ行進曲』では、当時のセルビアに関して、大まかに三部構成のストーリーが展開されている。

まず序盤では、物悲しいセルビア民謡『太陽は明るく輝かず』(Sunce jarko, ne sijaš jednako)を引用することで、オスマン帝国の圧政に苦しむセルビアが描写される。

【試聴】Sunce jarko ne sijaš jednako

次に、中間部に入ると、セルビア歌曲『セルビア人は喜んで兵士になる』(Rado ide Srbin u vojnike)から勇壮なメロディによって、オスマン帝国に対して反旗を翻したセルビアとロシア義勇軍が表現される。

【試聴】Rado ide Srbin u vojnike

この他、ウィキペディア日本語版の解説によれば、中間部では『懐かしいセルビアの戸口』から快活なメロディが引用されているという。

そして終盤は、ロシア帝国国歌『神よツァーリを護り給え』を引用することで、セルビアとロシア義勇軍の勝利が高らかに歌い上げられる。

ちなみに、チャイコフスキーは『序曲1812年』のフィナーレでもロシア帝国国歌のメロディを引用している。

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