母の日 Mother's Day 由来と歴史

カーネーションにお母さんへの日頃の感謝を込めて

毎年5月の第2日曜日は、母親にカーネーションを贈って日頃の感謝の意を表す記念日「母の日」です。

カーネーション(英:carnation)はナデシコ科ナデシコ属の多年草で、原産は南ヨーロッパおよび西アジアの地中海沿岸といわれています。

このカーネーションの風習は現在ではすっかり日本に定着していますが、その由来や起源はいつ頃起こったものなのでしょうか?

母の日の由来は?カーネーションが登場する以前の「母の日」とは?

「母の日」という名前の記念日は、アメリカが建国される前の17世紀イギリスに既に存在していました。

その日は「Mothering Sunday(マザーズ・サンデー)」、または単に「Mothers' Day(マザーズ・デイ)」と呼ばれるキリスト教に関連する習慣の一つで、母親の元を離れて丁稚奉公に出された子供達が、年に一度だけイースターのちょうど40日前の日曜日に、教会で母親と再会することを許された日でした。

19世紀のアメリカでは、ある女性r社会活動家によってこのイギリスにおける「Mothering Sunday(マザーズ・サンデー)」の名前だけが取り入れられていきました。

その女性活動家とは、アメリカ愛国歌「リパブリック讃歌」の作詞者として知られるジュリア・ウォード・ハウ女史(Julia Ward Howe/ 1819–1910)その人です。

彼女は1870年のアメリカにおいて、「Mother's Day Proclamation(母の日宣言)」と呼ばれる平和と非武装を訴える声明文を発表しました。

当時のアメリカは62万人の犠牲者を出した国内戦争が終結して間もない頃で、夫や子供を亡くした多くの母親が深い悲しみに暮れており、ジュリア・ウォード・ハウ女史はその残された母親の立場から、「Mother's Day Proclamation(母の日宣言)」によって平和と非武装を強く訴えていったのでした。

ジュリア・ウォード・ハウ女史は、マザーズ・デイを女性が主体の「平和の日」として公式に認知させるべく精力的に働きかけていましたが、生前にそれが叶うことはありませんでした。

しかし、彼女の意志は、同時期のアメリカにおけるある別の女性活動家によって受け継がれていき、やがてカーネーションの習慣が生まれるきっかけへつながっていくのです。

平和を願う記念日から 母親への敬意と感謝を表す日へ

ヴァージニア州出身のアン・ジャービス(Ann Maria Reeves Jarvis/1832-1905)は、公衆衛生や社会的弱者のために活動するウェストヴァージニアの社会運動家でした。

アン・ジャービスはジュリア・ウォード・ハウ女史の「母の日」平和運動に影響を受け、彼女も女性の立場から「母の日」の名の下に戦時中の負傷兵の治療や公衆衛生の改善等の活動に積極的に取り組み、南北戦争後には、分裂した北部州と南部州の平和的和解のために「Mother's Friendship Day(母の友好日)」などの平和活動を続けていきました。

アン・ジャービスには2人の娘がいました。娘アンナ(Anna Marie Jarvis/1864- 1948)も母親の影響を受け、その活動をそばで支えていきました。娘アンナが41歳の時、母アン・ジャービスが亡くなります。

その2年後の1907年5月の第2日曜日、娘アンナは母親を追悼するため、フィラデルフィアの自宅に友人数人を招き、自分の母親の活動を振り返りつつ、母に敬意を表する国民的な日としてマザーズ・デイを設けるべきとの考えを友人らに明らかにしたのです。

アンナは、ウェストヴァージニア州のグラフトンにあるアンドリュー・メソジスト教会(Andrew's Methodist Episcopal Church in Grafton)に、彼女の考えた「母の日」構想について手紙を出しました。

その教会は、母アン・ジャービスが20年以上もサンデー・スクールの教鞭を執っていた教会で、彼女の長年の努力に敬意を表する意味も合わせて「母の日」としての式典の実現を訴えかけたのです。

彼女の願いは叶い、1908年5月10日、400名以上の母子を招き、最初の公式な母の日のセレモニーが同教会で執り行われました。

列席者には、アンナの母親が好きだった(と言われているが定かではない)白いカーネーションを配ったとされ、このカーネーションが、現在の習慣につながっていくことになったようです。

ちなみにこのアンドリュー・メソジスト教会は、現在「母の日」誕生の地として母の日の国際的な総本山的な扱いを受けています。

ビジネスに利用されていく母の日 ~きっかけとしては今日でもなお重要~

その後にアメリカ国内で正式な記念日となった「母の日」ですが、カーネーションが高値で取引されたり、「母の日カード」が大々的に売り出されたりと、あまりに商業的・ビジネス的に便乗しようとする輩が後を立たちませんでした。

アンナは憤慨し、差し止め裁判を起こすなどしてこれらの商業的便乗に歯止めをかけようとしたようですが、結局資本主義の力には太刀打ちできず、ビジネスの世界におけるビッグイベントとして定着してしまったのは見てのとおりです。

アンナが提唱した当初の崇高な理念から比べれば、いささか商業的なイベントとなってしまった感のある「母の日」ですが、母親への敬意と感謝の気持ちを表すきっかけとしては今日においても重要な役割を果たしているといえます。

こういったイベントでもない限り、母親に感謝の気持ちを伝えるのはなかなか難しいことです。気持ちは目に見えないものですから、花でもカードでも、何か形のあるものを贈ることで、気持ち以上の気持ちが伝わることもあるかもしれません。言葉だけでは伝わりにくい大切な人への気持ちを届ける素敵なイベント、それが今日の「母の日」なのです。

お母さんに関連する世界の民謡・童謡は?

 さて最後になりますが、「母の日」つながりということで、母親に関する世界の民謡・童謡をいくつかご紹介したいと思います。母親の歌と聴いて真っ先に思う浮かぶのが、アイルランド民謡「ダニーボーイ」です。

戦場へ行ってしまった息子を思う母親の切ない心情が込められた名曲です。実は母親の歌か父親の歌かは歌詞からははっきりしないのですが、母親の視点から解釈した方がしっくりくる内容なので、当サイトでは「母親の歌」として扱っています。

その他にも、ロシア歌曲「赤いサラファン」、クラシック「シューベルトの子守唄」、アイルランド民謡「アイルランドの子守唄」、ドイツ民謡「ハンス坊や」など、母親に関連する世界の名曲が多数ありますので、「母の日」を機会にいろいろと思いを馳せながら聴いてみるのも良いかも知れません。