紺碧の空 歌詞の意味 早稲田大学応援歌

なぜ当時無名の古関裕而に作曲が依頼された?

『紺碧の空』(こんぺきのそら)は、1931年(昭和6年)に発表された早稲田大学の応援歌。その4年前に作曲された慶應義塾大学の応援歌『若き血』に対抗して制作された。

コンバットマーチ』と並び、早稲田大学の野球応援歌として知名度が高い。

作曲は、『栄冠は君に輝く』、『露営の歌(勝ってくるぞと勇ましく)』などで知られる古関裕而(こせきゆうじ)。当時21歳でまだ無名の新人だった。歌詞は公募作品から選出された(作詞:住治男)。

早稲田大学 大隈講堂

写真:早稲田大学 大隈講堂(出典:Wikipedia)

一般的に、大学の応援歌などの公式楽曲が制作される場合、名のあるベテラン作曲家に依頼されることが多いと思われるが、一体なぜ『紺碧の空』は当時まだ商業的に無名だった古関裕而が手掛けることになったのだろうか?

実は、『紺碧の空』と古関裕而とのつながりは、彼とやがてコンビを組むことになる歌手の伊藤 久男(いとう ひさお/1910- 1983)が間接的に関係している。詳細は後述する。

【YouTube】紺碧の空

【YouTube】早稲田大学応援歌 紺碧の空

歌詞


紺碧の空 仰ぐ日輪
光輝あまねき 伝統のもと
すぐりし精鋭 闘志は燃えて
理想の王座を占むる者 われ等
早稲田 早稲田
覇者 覇者 早稲田


青春の時 望む栄光
威力敵無き 精華の誇
見よこの陣頭 歓喜あふれて
理想の王座を占むる者 われ等
早稲田 早稲田
覇者 覇者 早稲田

歌詞の意味・補足

紺碧(こんぺき)

真夏の日差しの強い青空の色のような深く濃い青色。やや黒みを帯びた青色。

日輪(にちりん)

太陽のこと。『阪神タイガースの歌(六甲おろし)』の歌詞でも使われている。

あまねき

広く。全てに渡って。

すぐりし

多くのものの中から選び抜かれた

精華(せいか)

すぐれていて美しくはなやかなこと。最もすぐれているもの。真価となるべきところ。

陣頭(じんとう)

軍の先頭。戦う部隊の真っ先。

曲の由来は?

『紺碧の空』作曲の経緯を過去にさかのぼっていくと、古関裕而と妻・金子との出会いが大きな分岐点になっていることが分かる。

1929年(昭和4年)、二十歳の古関裕而は、ロンドンの楽譜出版社による作曲コンクールに応募し、日本人初の国際的作曲コンクール入賞を果たした。

これが地元福島の新聞で報道されると、声楽家志望の内山金子はこの報道に感銘を受け、すぐさま古関にファンレターを送り、熱烈な文通を始めた。

それから数か月後の1930年6月、古関20歳、金子18歳で二人はめでたく結婚。古関はたいへんな愛妻家で、晩年までおしどり夫婦であったという。

妻の学校で伊藤久男との出会い

声楽家志望の妻・金子はその後、帝国音楽学校の声楽部本科に編入。そこには、古関裕而と同じ福島県出身の伊藤 久男(いとう ひさお/1910- 1983)がいた。

伊藤は古関より年齢的に一つ下で同世代。妻の学友で同郷であり、同じ音楽の道を志す仲間として、古関と伊藤は親交を深めていった。

大学野球の早慶戦で苦戦

ちょうどその頃、昭和5年(1930年)における大学野球の早慶戦では、慶応が春秋4連勝という一方的な記録を打ち立てて早稲田に圧勝していた。

この数年前に作曲されたばかりの慶應義塾大学の応援歌『若き血』の存在も大きかったという。

早稲田大学応援団は、この状況を打破するべく、『若き血』に対抗しうる新たな応援歌を模索していた。

作曲家選びに難航

早稲田大学応援団は1931年(昭和6年)に新たな応援歌の歌詞を公募。当時文学部教授だった西條八十(さいじょうやそ)により選定が行われた。

歌詞は決まったものの、誰に作曲を依頼するかが問題となった。著名な作曲家に頼めば済む話のようにも思われるが、そう簡単ではなかったようだ。

というのも、早稲田の応援歌は昭和初期に既に何曲か制作されており、それらすべて著名なベテラン作曲家に依頼した作品だったが、野球場で慶應義塾大学の応援歌『若き血』に対抗できるような仕上がりではなかったという。

更なる新曲の制作には、著名な作曲家に頼めば多額の費用が掛かる。いい曲が出来るならそれでもいいが、これ以上費用をかけてもまたダメだったら…。作曲家選びにはかなり慎重になっていたと思われる。

伊藤の従兄弟が早稲田応援団に

当時の早稲田大学応援団には、伊藤 久男の従兄弟・伊藤戊(しげる)が幹部の一人として名を連ねていた。

誰か良い作曲家の知り合いはいないか、伊藤戊は従兄弟(いとこ)の伊藤 久男に相談したことであろう。ここでいう「良い作曲家」とは、作曲の腕前はもちろんのこと、安い報酬で請け負ってくれることが暗黙の条件だ。

もし伊藤 久男が従兄弟からそんな相談をされたとすれば、国際コンクール入賞の実力があり、かつ親交があった若い古関裕而が推薦されることは自然の流れだったように思われる。

伊藤戊は、新たな応援歌の作曲家として古関裕而を推すべく、応援団幹部を熱心に説いてまわり、難航した作曲家選びはついに決着したのだった。

ほぼ無報酬だった?!

早稲田大学卒の小説家・黒木 亮によれば、『紺碧の空』を作曲した古関裕而への報酬は、ほとんど無報酬に近いものだったようだ。以下引用。

予算がなく、ほぼ無報酬の依頼だったが、古関は大役に感激し、快諾した(朝ドラはこの点だけ事実と少し違う)。

<引用:黒木 亮「朝ドラで話題「紺碧の空」は、なぜ早稲田を象徴する一曲となったのか」PRESIDENT Online より>

名曲『紺碧の空』の誕生により早稲田大学野球部は早慶戦で見事勝利。作曲者・古関裕而の名前は全国に広まり、スポーツ音楽の依頼が次々と舞い込んだという。

ほとんど無報酬でも渾身の力を込めて作曲に取り組んだ古関裕而。無名だった新人作曲家は、これを自らの出世作として、戦前から戦後にかけて数多くのスポーツ応援歌・テーマ曲を手がけていくことになるのである。

参考文献・サイト

牛島芳「応援歌物語」(1979年、敬文堂刊)

福島民友新聞社 みんゆうNet 古関裕而「うた物語」

黒木 亮「朝ドラで話題「紺碧の空」は、なぜ早稲田を象徴する一曲となったのか」PRESIDENT Online

早稲田大学 応援歌

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