夢みたものは 立原道造 合唱曲

合唱曲/夢みたものは ひとつの幸福 ねがったものは ひとつの愛

『夢みたものは』は、昭和初期に活躍した詩人・立原 道造(たちはら みちぞう/1914-1939)の詩を元にした合唱曲(作曲:木下牧子)。

立原道造は結核を患い、24歳の若さで夭逝したが、亡くなる数年前から勤務先の女性・水戸部アサイと清い交際を続けていた。

1937年6月5日の日曜日、道造はアサイを誘って軽井沢へ日帰りの小旅行へ出かけた。信濃追分駅近くの草むらで、道造はアサイにプロポーズをしたという。

1938年、立原道造はアサイと過ごす幸せな時間を一篇の詩にしたためた。愛する喜びに世界は光り輝き、目に映るすべてが幸せに満ち溢れていた。

【YouTube】夢みたものは 木下 牧子

立原道造『夢みたものは』

夢みたものは ひとつの幸福
ねがったものは ひとつの愛
山なみのあちらにも しずかな村がある
明るい日曜日の 青い空がある

日傘をさした 田舎の娘らが
着かざって 唄をうたっている
大きなまるい輪をかいて
田舎の娘らが 踊りをおどっている

告げて うたっているのは
青い翼の一羽の 小鳥
低い枝で うたっている

夢みたものは ひとつの愛
ねがったものは ひとつの幸福
それらはすべてここに ある と

その後の二人について

『夢みたものは』を書き上げた立原道造は、その年の12月に喀血(かっけつ)し容体が悪化。この時すでに手遅れの状態にあった。アサイの献身的な看病も実らず、3か月後の1939年3月29日、立原道造は24歳の若さでこの世を去った。道造とアサイは最後まで清い間柄だったという。

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