月の沙漠 歌詞への批判 砂漠のモデル・場所

なぜ「砂漠」ではなく「沙漠」なの?モデルは千葉県の御宿海岸?

『月の沙漠』(つきのさばく)は、作詞:加藤まさを、作曲:佐々木すぐるによる日本の童謡・歌曲

歌詞は、大正から昭和初期に叙情的な挿絵画家として人気を博した加藤まさをが、講談社発行の雑誌『少女倶楽部』1923年(大正12年)3月号に発表したもの。

当初は児童の音楽教材だったが、1927年にラジオ放送され、1932年に柳井はるみの歌唱で録音・レコード化され、童謡として広まった。

曲のタイトルは「砂漠」ではなく「沙漠」となっているが、これは曲の歌詞が千葉県の御宿(おんじゅく)海岸をモチーフ(の一つ)としており、乾いた砂ではなく、水分を含んだ海岸の砂であることを表現しているという。

月の沙漠 モデル 千葉県 御宿海岸

写真:『月の沙漠』モデルの一つとされる千葉県の御宿海岸(出典:Wikipedia)

御宿海岸には、『月の沙漠』に登場する2頭のラクダに乗った王子と姫をあしらった像が建てられている。1976年(昭和51年)5月には、作詞者自ら御宿町に移住し、翌1977年に同地で死去した。

なお、作詞者の生まれ故郷は静岡県藤枝市で、幼い頃に焼津の海岸へよく遊びに行っていたことから、その幼い頃のイメージが『月の沙漠』に影響を与えているとの説もある。

【YouTube】月の沙漠

【YouTube】月の砂漠 - Tsuki no Sabaku

朝日新聞が歌詞を批判

『月の沙漠』の歌詞については、朝日新聞の記者が、現実の砂漠(沙漠)ではありえない点があると痛烈な批判を行っている。

一体どのような批判がなされているのだろうか?まずは『月の沙漠』の歌詞を引用して、その内容を確認してみたい。

月の沙漠(さばく)を はるばると
旅の駱駝(らくだ)がゆきました
金と銀との鞍(くら)置いて
二つならんでゆきました

金の鞍には銀の甕(かめ)
銀の鞍には金の甕
二つの甕は それぞれに
紐(ひも)で結んでありました

さきの鞍には王子様
あとの鞍にはお姫様
乗った二人は おそろいの
白い上着を着てました

曠(ひろ)い沙漠をひとすじに
二人はどこへゆくのでしょう
朧(おぼろ)にけぶる月の夜(よ)を
対(つい)の駱駝はとぼとぼと

砂丘を越えて行(ゆ)きました
黙って越えて行きました

この歌詞について、当時の朝日新聞記者・本多勝一は次のような批判を行っている(ウィキペディアから引用)。

遊牧民は水を運ぶのに水甕ではなく皮袋を使う。まして、金属製の甕では中の水が煮立ってしまう。

王子と姫が二人だけで旅をしていたら、たちまちベドウィンに略奪される。

砂漠で月が「朧にけぶる」のは、猛烈な砂嵐が静まりかけるときぐらいに限られる

「ベドウィン」とは、アラブの遊牧民族のこと。まるでベドウィンが略奪を行う民族のように書かれているが、これはベドウィンに対する侮辱ではないのか。

「王子と姫が二人だけで旅」については、確かに童話や童謡だとしてもその理由・背景が気になるが、そこへ現実の民族を引き合いに出してしまうのは飛躍がある。童謡なのだから、あくまでもこの世界観の中で空想を働かせるべきだろう。

「砂漠」での砂嵐について述べているが、この歌の舞台は「砂漠」ではなく「沙漠」であり、水分を含んだ海岸の砂であることから、この批判は的を射ていないように感じられる。

そもそも、童謡の世界観に対して現実を持ち出して批判すること自体が的外れではないだろうか?

例えば、『およげ!たいやきくん』という童謡に対して、「たい焼きが海を泳ぐなんて、現実のたい焼きではありえない」などと真顔で批判する大人がいたら、皆さんはどう感じられるだろうか?

月の関連ページ

月のうた
『月(出た出た月が)』、『炭坑節(月が出た出た)』、『月の沙漠』、『うさぎ』など、月に関する日本の民謡・童謡・世界の歌まとめ
月の満ち欠けと名前・呼び方・読み方 一覧
十五夜、望月、十六夜など、夜空の月の満ち欠けとその名前の呼び方・読み方、別名・異名の一覧、意味や由来・語源まとめ