三千世界の鴉を殺し 意味・解釈まとめ 都々逸

幕末志士・高杉晋作が詠んだとされる都々逸の様々な解釈について

「三千世界の鴉(カラス)を殺し 主(ヌシ)と朝寝がしてみたい(添寝がしてみたい)」は、幕末における長州藩の尊王攘夷志士・高杉晋作(たかすぎ しんさく)が詠んだとされる都々逸(どどいつ)。桂 小五郎(木戸 孝允)説もある。

江戸時代の遊郭における遊女と客を題材としており、ネットで見る限り、遊女の立場からの解釈もあれば、客の立場からの解釈も見られる。

このページでは、ネットで確認できた主な3つの説・解釈について、その意味合い・内容を一通り簡単にまとめてみたい。

遊郭の花魁

まずは、解釈の前提となる「三千世界」と「主(ぬし)」の意味について簡単に解説したうえで、ネットで確認できた主な3つの解釈について一つ一つ見ていきたい。

三千世界とは?

「三千世界」とは、仏教における膨大な宇宙の集合単位。仏教での宇宙は、須弥山(しゅみせん/スメール山)を中心とした九山八海から成る。

仏教の宇宙観 九山八海

挿絵:仏教の宇宙観 九山八海(出典:Wikipedia)

上図で示される一世界(小世界)が1,000個集まったものを小千世界という。

小千世界が1,000個集まったものを中千世界といい、中千世界が1,000個集まったものを大千世界という。

大千世界は「三千大千世界」とも呼ばれ、略して「三千世界」と呼ばれる。

高杉晋作の都々逸における「三千世界」は、「世界中の、この世のすべての」といった強調の意味合いで使われていると考えられる。

ちなみに、アニメ・漫画「ワンピース」ドレスローザ編において、ドフラミンゴ幹部ピーカーに対してゾロが放った必殺技「一大三千大千世界」は、上述の仏教概念「三千世界」が元ネタ。

主(ぬし)は男?女?

「主と朝寝がしてみたい」の「主(ヌシ)」は、男を指すのか?女を指すのか?どっちだろうか?

結論から言えば、これは男を指している。これは遊郭で遊女が用いる「廓言葉(くるわことば)」という特殊な言葉で、「主(ヌシ)」は客の男を意味している。

つまりこの都々逸は、作者は男性だが、遊郭の遊女の視点から謡われていることになる。現代でも、演歌などで男性の作詞家が女性の心情を作詞することは珍しくない。

このページの解説でも、遊女の視点から、「主(ヌシ)」は「客の男」という前提で解説を行う。

ただし、男性視点の解釈が否定されるわけではない。あくまでもこのページでは、一貫性を持たせて読みやすくするために「遊女の視点」を採用するにすぎない。そもそも作者は男性である(と考える)ならば、男性視点でも解釈として成り立ちうるだろう。

なお、廓言葉には他にも、「ありんす」、「ござんす」、「しゃんす」、「やしゃんす」、「わちき」、「わっち」などが有名。これらの言葉は、遊女の出身地のなまりを隠し,平等に客に接するようにとの配慮に基づいているという。

新吉原全盛の賑ひ 浮世絵 花魁道中 遊女

挿絵:楊斎延一「新吉原全盛の賑ひ」花魁道中(出典:ukiyo-e.org)

解釈1:静かに寝たい

さてここからは、高杉晋作の都々逸「三千世界の鴉を殺し 主と朝寝がしてみたい」の意味・解釈について、ネットでよく見られる3つの説を簡単にひとつずつ取り上げ、その説の内容や意味合いを補足していきたい。

まずご紹介するのは、最もシンプルな「静かに寝たい」説。これは、「朝からカーカー鳴いてうるさいカラスを始末して、静かにゆっくりと遊郭で朝寝を楽しみたい」とする類の解釈だ。

近所のカラスさえいなくなれば十分に静かになりそうな気もするが、問題はそこではない。

遊女は客に媚びを売るため、「あなた(主)と静かに朝寝するためなら、私は世界中のカラスを始末してみせる」と謡っているように感じられる。

決してカラスに憎しみや恨みがあるわけではなく、客への本気度を「演出するため」のリップサービス・大言壮語といった感じだろう。

解釈2:まだお別れしたくない

次にご紹介するのは、「まだお別れしたくない」説。朝にカラスが鳴く時間ということは、そろそろ遊郭の営業終了時間が迫っていることを意味する。

遊女は主(男性客)への本気度を「演出するため」、カラスが鳴いたらそろそろお別れだけど、私はあなたと「まだお別れしたくないの」という可愛いさ・いじらしさをアピールしようとする。

「カラスが鳴けばお別れになってしまうのなら、いっそ世界中のカラスを始末して鳴かないようにすれば、あなたとまだ一緒に朝寝ができる」

もちろん、カラスがいなくなっても時間は進むので、現実的には何の実効性もない事だが、言うまでもなくこれも、遊女が客に気に入られるために「まだお別れしたくないの」と可愛くダダをこねるためのリップサービス・大言壮語と考えられる。

解釈3:熊野神社のカラスが死ぬ

最後にご紹介するのは、「熊野神社のカラスが死ぬ」説である。

江戸時代には、約束を守ることを文書で誓う「起請文(きしょうもん)」があり、熊野神社の護符の裏に書くのが決まりだった。

誓いを破ることがあれば、熊野神社の使いであるカラスが三羽死ぬとの言い伝えがあった。

遊女は客に媚びを売るため、この起請文を使い、「遊女の雇用期間が満了すれば(年季が開ければ)、主(客)と結婚することを約束する」といった内容で、疑似恋愛を演出していた。

もちろんこの起請文をたった一人だけに渡すなんてことはなく、金づるになりそうな客にはむやみにバラまかれるのであり、客も当然それを知った上での疑似恋愛サービスだったことは言うまでもない(現代のバレンタインチョコに近い?)。

これらの状況下で、遊女は客に対して特別感を演出するため、次のようなメッセージを主(客)に伝えようとする。

「大勢に起請文を渡してきたけど、本命は主(あなた)だけ。あなた以外の起請文はウソだから、熊野神社の使いであるカラスがたくさん死んでしまうけど、あなたと朝寝できるなら構わないわ」

これがまさに、「三千世界の鴉を殺し 主と朝寝がしてみたい」の解釈ということになる。

もちろんこれも大勢の客に同じように言ってるリップサービスであり、遊女による疑似恋愛サービスの一つということになるだろう。

朝寝?添寝?どっち?

「三千世界の鴉を殺し」に続く「主と朝寝がしてみたい」のくだりにおいて、「朝寝」ではなく「添寝(そいね)」とする解説も見られるが、元々はどっちだったのだろうか?

この都々逸については、はっきりとした客観的資料が残されておらず、一体どちらがオリジナルなのかについて不明な状況だが、元々は「添寝(そいね)」だったと考える説がネットでいくつか確認できた。

「添寝」が「朝寝」になったのは、上方落語・古典落語の「三枚起請(さんまいきしょう)」のサゲ(落ち)の影響が考えられるようだ。

上述した3つの解釈に照らし合わせて考えてみると、確かに3つ目の「熊野神社のカラスが死ぬ」説においては、「朝寝」とするよりも「添寝」とする方が確かにしっくりくるように感じられる。

最後に

ご紹介した3つのどの説も、それぞれ筋が通っていて納得のできる解釈だと思われる。どの説が正しくて、どの説が間違っている、という話ではなく、肩の力を抜いて、自由に様々な解釈を楽しむのが良いだろう。

江戸の遊郭について知識を深めることが、この都々逸をより深く理解することにもつながる。この機会に、関連書籍を一読されてみてはいかがだろうか?

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