田原坂 雨は降る降る 人馬は濡れる

西郷隆盛ら西南戦争の激戦地を題材とした熊本県民謡

「雨は降る降る 人馬は濡れる」の歌い出しで有名な熊本県民謡『田原坂』(たばるざか)。歌詞は『伊勢音頭』と同じく「七七七五」の甚句(じんく)形式。

日露戦争の頃に作曲され、作詞は九州日日新聞記者の入江某、作曲は熊本の芸妓(げいぎ)・留吉と伝えられている。

歌詞は、西郷隆盛ら士族の反乱「西南戦争」(1877年/明治10年)における激戦地を題材としている。当時は3月で、田原坂には春の雨が断続的に降り続いていた。

「人馬は濡れる」の「人馬(じんば)」については、ウィキペディアによれば、元々は「陣羽」、すなわち陣羽織(じんばおり)であり、「人馬」に変化したのは日露戦争後だという。ネットでは「陣場」(陣地)とする解釈も見られた。

「越すに越されぬ」の部分は、『箱根馬子唄(越すに越されぬ大井川)』をもじったものだろう。

写真は、現代の田原坂公園。ツツジや桜の名所として知られる。園内には、西南戦争当時の弾痕が残っている家屋や資料館がある。

田原坂公園の周辺は、熊本県が指定する金峰山(きんぼうざん)県立自然公園として、観光農園やハイキングコース、登山道などが整備されている。

【YouTube】 田原坂 熊本県民謡

【YouTube】 正調 田原坂

歌詞

雨は降る降る 人馬(陣羽)は濡れる
越すに越されぬ 田原坂

右手(めて)に血刀(ちがたな)
左手(ゆんで)に手綱(たづな)
馬上ゆたかな 美少年

歌詞の意味

「めて」とは「馬手」、馬上で弓を武器とする場合の、手綱を取る方の手。右手、右の方を意味する。

「ゆんで」とは「弓手」、弓を取る方の手であり、左手、左の方を意味する。矢は右手で持つ。

「馬上ゆたかな」の「ゆたか」とは、馬の乗りこなし・馬術が巧みで、生き生きと活力に満ちた様子といった意味合い。

美少年は誰のこと?

歌詞にある「馬上ゆたかな 美少年」の「美少年」とは一体誰のことを指しているのだろうか?

この点については、田原坂の戦いで命を落とした多くの若者すべてを抽象的に表していると解釈するのが無難なように思われるが、特定人物の名前を挙げる説もいくつかネットで確認できたので、ここで簡単にご紹介したい。

田原坂公園内 馬上の美少年像

写真:田原坂公園内 馬上の美少年像

村田岩熊説

ネットでよく見かけるのが、この「村田岩熊説」。村田岩熊は、薩摩軍における二番大隊指揮長を務めた村田新八の長男で、当初は伝令だったが後に戦闘に加わり、田原坂で奮戦した。田原坂陥落後、植木の戦いで命を落とした。

三宅伝八郎説

二つ目は、人吉藩士・三宅伝八郎(みやけ でんぱちろう)とする説。伝令として馬上血刀をふるい、官軍の包囲を突破したという。東映による1962年の映画「馬上の若武者」主人公。

その他の歌詞

山に屍(しかばね) 川に血流る
肥薩(ひさつ)の天地 秋にさびし

草を褥(しとね)に 夢やいずこ
明けのみ空に 日の御旗(みはた)

春は桜よ 秋なら紅葉(もみじ)
夢も田原の 草枕

泣いてくれるな かわいの駒よ
今宵しのぶは 恋でなし

どうせ死ぬなら 桜の下よ
死なば屍(かばね)に 花が散る

田原坂なら むかしが恋し
男同士の 夢の跡

泣くな我が妻 いさめよ男子等(おのこら)
戦地に立つは 今なるぞ

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