信濃の国 歌詞の意味 長野県歌

信州(長野県)育ちなら必ず歌える?郷土愛に満ちた県民歌

『信濃の国』(しなののくに)は、1900年(明治33年)に発表された長野県の県歌。作詞:浅井洌、作曲:北村季晴。

歌詞は全6番からなり、長野県の地理・山河、産業、名勝・旧跡、長野県出身の著名人、 碓氷峠と鉄道などが織り込まれている。4番のみメロディとテンポが異なる。

白馬岳

写真:白馬岳(出典:Wikipedia)

『信濃の国』は長野県内の小中学校・高校でよく歌われ、「信州(長野県)育ちなら『信濃の国』を歌える」とさえいわれるようだ。

さらに、「会議や宴会の締めでは必ず『信濃の国』が合唱される」、「県内在住者であっても『信濃の国』を歌えなければ他所者」とまで言われるほどに、長野への郷土愛と連帯感を示す県民歌として幅広い年代から親しまれている。

このページでは、長野県歌『信濃の国』歌詞について、その意味や内容などを簡単に解説してみたい。

【YouTube】信濃の国 長野県歌

一番の歌詞

善光寺本堂

写真:善光寺本堂(出典:Wikipedia)

信濃の国は十州に
境連ぬる国にして
聲(そび)ゆる山はいや高く
流るる川はいや遠し

松本伊那佐久(さく)善光寺
四つの平は肥沃の地
海こそなけれ物さわに
万(よろ)ず足らわぬ事ぞなき

「十州」とは、越後(新潟県)、上野(群馬県)、武蔵(埼玉県)、甲斐(山梨県)、駿河・遠江(静岡県)、三河(愛知県)、美濃・飛騨(岐阜県)、越中(富山県)を指している。

「いや高く」の「いや」は、「きわめて、最も」や「いよいよ、ますます」を表す古語。「いやさか(弥栄)」の「いや」も同じ。

「物さわ」とは、物が多い様を表す古語。「物多(ものさわ)」。

「万(よろ)ず足らわぬ事ぞなき」とは、「すべてのことが信濃国で事足りる」という意味。

二番の歌詞

浅間山の噴煙

写真:浅間山の噴煙(2009年4月/出典:ホテル軽井沢1130公式ブログ)

四方(よも)に聳(そび)ゆる山々は
御嶽(おんたけ)乗鞍(のりくら)駒ヶ岳
浅聞は殊(こと)に活火山
いずれも国の鎮(しず)めなり

流れ淀まずゆく水は
北に犀川千曲川
南に木曽川天竜川
これまた国の固めなり

「殊(こと)に」は、とりわけ、特に。

「国の鎮め」とは、国を治めて落ち着かせること。

三番の歌詞

諏訪湖

写真:諏訪湖(出典:Wikipedia)

木曽の谷には真木(まき)茂り
諏訪の湖には魚(うお)多し
民のかせぎも豊かにて
五穀の実らぬ里やある

しかのみならず桑とりて
蚕(こ)飼いの業(わざ)の打ちひらけ
細きよすがも軽からぬ
国の命を繋(つな)ぐなり

「真木」とは、りっぱな木、良材となる木。スギやヒノキなど。

「実らぬ里やある」とは、「実らない里はあるだろうか、いやない」といった意味(反語的用法)。

「しかのみならず」とは、そればかりでなく、それに加えて。

「打ちひらけ」とは、広まっていること。

「よすが」とは、身や心のよりどころとすること。頼りとすること。

「細きよすがも…」以降は、蚕(かいこ)の糸は細いが、国の重要な産業であるということ。

四番の歌詞

木曽川と寝覚の床

写真:木曽川と寝覚の床(出典:Wikipedia)

尋ねまほしき園原(そのはら)や
旅のやどりの寝覚の床(ねざめのとこ)
木曽の桟(かけはし)かけし世も
心してゆけ久米路橋(くめじばし)

くる人多き筑摩(つかま)の湯
月の名にたつ嬢捨山(うばすてやま)
しるき名所と風雅士(みやびお)が
詩歌(しいか)に詠(よみ)てぞ伝えたる

「嬢捨山(うばすてやま)」とは、長野県千曲市の冠着山(かむりきやま)のこと。山頂にある冠着神社の祭神は月夜見尊(ツクヨミ/ツキヨミ)。「うばすて(おばすて)」の語源・由来は、千曲川流域の住民・小長谷部(おはせべ)氏から。

「木曽の桟(かけはし)」とは、木曽川沿いの断崖にかけられた桟道(さんどう)のこと。断崖に差し込んだ丸太の上に板などをあてて通り道とした。『箱根八里』2番の歌詞の「蜀の桟道」も同じ造り。

「久米路橋」とは、長野県長野市の水内ダム(みのちダム)上流にある久米路峡の橋。

「寝覚の床(ねざめのとこ)」は、長野県木曽郡上松町にある景勝地。木曽川沿いに巨大な花崗岩の岩盤が水面上に現れている。

「しるき」とは、際立っていること、はっきりしていること。「著(しる)し」の連体形。

「風雅士(みやびお)」とは、風雅なる男、風流人、風流士。

五番の歌詞

木曽川と現代の木曽の棧

写真:木曽川と現代の木曽の棧(出典:Wikipedia)

旭将軍義仲(よしなか)も
仁科の五郎信盛も
春台太宰先生も
象山佐久間先生も

皆此国の人にして
文武の誉(ほまれ)たぐいなく
山と聳えて世に仰ぎ
川と流れて名は尽ず

「旭将軍義仲義仲」とは、平安時代末期の信濃源氏、源 義仲(木曾 義仲)のこと。『平家物語』の中で朝日将軍または旭将軍と呼ばれる。

「仁科の五郎信盛」とは、戦国時代の武将・仁科 盛信(にしな もりのぶ)のこと。織田信長の甲州征伐に際して、高遠城で最後まで抵抗し討死した。

「春台太宰」とは、江戸時代中期の儒学者・太宰 春台(だざい しゅんだい/1680-1747)のこと。著作『経済録』によって「経済」という略語を定着させた。

「象山佐久間」とは、江戸時代後期の松代藩士・佐久間 象山(さくま しょうざん/ぞうざん/1811-1864)。蘭学に精通し、西洋砲術・兵学に秀でていた。弟子は勝海舟、吉田松陰、坂本龍馬ら。妻は勝海舟の妹。

六番の歌詞

吾妻(あづま)はやとし日本武(やまとたけ)
嘆き給いし碓氷山(うすいやま)
穿つ隆道(トンネル)二十六
夢にもこゆる汽車の道

みち一筋に学びなば
昔の人にや劣るべき
古来山河の秀でたる
国は偉人のある習い

「日本武(やまとたけ)」とは、古代日本の皇族・日本武尊(やまとたけるのみこと)。火攻めを受けた際の草那藝剣(くさなぎのつるぎ)の伝説が有名。

后・弟橘媛(おとたちばなひめ)は、海の神を鎮めるため人柱として入水した。日本武尊は碓氷の峠で東を向きながら「吾妻はや(我が妻よ)…」と嘆いたという。東国をアヅマ(東・吾妻)と呼ぶ由来・語源とされる。

「夢にもこゆる」とは、眠って夢を見ている間にも越えてしまう、といった意味。

「みち一筋に…」のくだりは、一筋に学んでいけば、昔の人にも決して劣らない立派な人物になれる、ということ。

「習い」とは、世間であたりまえなこと、世の常。

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