ここに幸あり 歌詞の意味 映画のあらすじ

君をたよりに わたしは生きる ここに幸あり 青い空

『ここに幸あり』は、1956年(昭和31年)に公開された同名の映画主題歌。歌手は、当時新人だった大津 美子(おおつ よしこ/1938-)。かつては結婚式のBGMによく使われた。

作詞は、『酒は涙か溜息か』、『船頭可愛いや』、『古城』などを手掛けた北海道根室市出身の作詞家・高橋掬太郎(たかはし きくたろう/1901-1970)。作曲は、高橋と同郷の飯田三郎。

大津 美子

『ここに幸あり』の歌詞には難解な表現はないが、2番の歌詞が急に暗い内容となるなど、話の流れ的に意味が分かりにくい部分もある。

これを理解するには、『ここに幸あり』が主題歌として用いられた映画のあらすじをある程度理解しておく必要がある。

そこで、映画「ここに幸あり」のあらすじと、主題歌の歌詞の関係・意味合いについて、簡単に解説してみたい。

【YouTube】 ここに幸あり 大津美子 昭和歌謡

映画のあらすじ

まず、映画『ここに幸あり』のあらすじを簡単に。舞台は東京、主人公は年頃の姉妹、病弱な姉・京子と快活な妹・南子。

1.京子は恋人と暮らし始めるが、他の縁談を優先したい京子の親はこれに大反対。恋人は去ってしまった。

2.南子が掘れて一夜を共にした相手には、実は婚約者がいた。自暴自棄になった南子は家出し、夜の街の踊り子に零落した。その相手は南子を救おうとしていた。

3.去った恋人を追っていった京子だったが、持病が悪化し途中で倒れる。病室に集まる登場人物たち。そこには、一度は離れたそれぞれの恋人と寄り添う姉妹が。明るい未来が始まろうとしていた。

一番の歌詞

上述のあらすじの内容を踏まえて、まずは『ここに幸あり』一番の歌詞を見てみよう。次のとおり歌詞を引用する。

嵐も吹けば 雨も降る
女の道よ なぜ険し
君をたよりに わたしは生きる
ここに幸あり 青い空

<引用:高橋掬太郎『ここに幸あり』一番の歌詞より>

『ここに幸あり』一番の歌詞では、上述のあらすじでいうと、京子と南子の姉妹に降りかかった恋の苦難が暗示されている。

2番が南子についての歌詞なので、1番は特に京子についての「険しい女の道」がほのめかされているのかもしれない。

二番の歌詞

次に、『ここに幸あり』二番の歌詞を次のとおり引用する。

誰にもいえぬ 爪のあと
心に受けた 恋の鳥
ないてのがれて さまよい行けば
夜の巷(ちまた)の 風哀し

<引用:高橋掬太郎『ここに幸あり』二番の歌詞より>

二番の歌詞では、上述のあらすじ「2」の部分、つまり妹・南子が既婚者に遊ばれ、傷心で夜の街に身を落とす状況が暗示されている。

『ここに幸あり』が結婚式のBGMとして使われる場合も、この二番はカットされることが多かったようだ。

三番の歌詞

最後に、『ここに幸あり』三番の歌詞を見てみよう。

いのちの限り 呼びかける
こだまのはてに 待つは誰
君に寄り添い 明るく仰ぐ
ここに幸あり 白い雲

<引用:高橋掬太郎『ここに幸あり』三番の歌詞より>

三番の歌詞では、上述のあらすじ「3」の部分、つまり病弱の姉・京子が命がけで恋人を追っていった状況が暗示されている。

そして病室で恋人たちと再会し寄り添う姉妹がハッピーエンド(エンディング)を迎える様子も描写されているように感じられる。

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