菅公 歌詞と意味・歴史 菅原道真

学問の神様として知られる菅原道真を題材とした日本の唱歌

『菅公』(かんこう)は、学問の神様として知られる平安時代の貴族・菅原道真(すがわら の みちざね)を題材とした日本の唱歌。

同じ題名の別の曲(同名異曲)がいくつか存在するが、ここでは大正2年(1913年)の尋常小學唱歌に掲載された『菅公』について、歌詞の意味と簡単な歴史について解説していく。

太宰府天満宮 境内

参考までに、明治29年(1896年)と明治35年(1902年)に発表された唱歌『菅公』についても歌詞を掲載しておく。

写真:太宰府天満宮 境内(福岡県/出典:Wikipedia)

尋常小學唱歌『菅公』

掲載:尋常小學唱歌 第五学年用

刊行:大正2年(1913年)

作詞:不詳/作曲:岡野貞一

1.
日かげ遮(さえぎ)る むら雲に
干すよしもなき 濡衣(ぬれぎぬ)を
身には著(き)つれど 真心の
あらわれずして 止(や)まめやと
神のまもりを たのみつつ
配所(はいしょ)に行きし 君あわれ

2.
のちを契(ちぎ)りし 梅が枝(え)に
東風(こち)ふく春は かえれども
菊の節会(せちえ)の 後朝(こうちょう)の
宴(えん)に侍(はべ)りし 秋は来ず
御衣(ぎょい)を日毎(ひごと)に 拝しつつ
配所に果てし 君あわれ

一番の歌詞の意味

宇多天皇・醍醐天皇から重用されていた菅原道真は、藤原氏による謀略・讒言(ざんげん)によって謀反の罪を着せられ、大宰府へ左遷されてしまった。

「日かげ」とは、ここでは日の光、太陽のこと(古語的用法)。宇多天皇・醍醐天皇からの信頼・重用の暗喩。

それを「遮るむら雲」とは、藤原氏の謀略・讒言(ざんげん)の暗喩。「濡衣(ぬれぎぬ)」とは、いわれなき謀反の罪のこと。

「真心の あらわれずして」とは、真実の心(天皇への忠誠心)が証明されることなく、といった意味合いか。

「むら雲」の雨によって「濡衣(ぬれぎぬ)」を着せられた菅原道真は、早くこの雨が止んで(疑いが)晴れて欲しいと神頼みをしながら、大宰府へ左遷されていった。

「配所(はいしょ)」とは、罪人が流された土地のこと。配流(はいる)の地。

梅の花と菅原道真

二番の歌詞の意味を解釈するにあたっては、菅原道真が詠んだ次のような和歌の意味を理解しておく必要がある。これは、菅原道真が京の都を去る前に、大切にしていた梅の木を眺めながら詠んだ歌である。

東風(こち)吹かば にほひをこせよ 梅の花
主(あるじ)なしとて 春を忘るな(または「春な忘れそ」)

東風(こち)とは春風のこと。中国の自然哲学「五行説(五行思想)」によれば、春と東は同じ「木」の要素に配置されている。

「にほひ(匂ひ)をこせよ」の「をこせ」は、「遣す(おこす)」、つまり「こちらへ送ってくる、よこす」の意味。すなわち、「梅の花の匂いを太宰府まで送ってくれ」と詠っている(参照:「飛び梅伝説」)。

「主(あるじ)」とは、菅原道真のこと。

二番の歌詞の意味

二番の歌詞について、まず冒頭から見ていこう。

のちを契(ちぎ)りし 梅が枝(え)に
東風(こち)ふく春は かえれども

<尋常小學唱歌『菅公』二番の歌詞より>

これは上述の和歌に基づく部分。梅の花の匂いを太宰府まで送ってくれと約束した春風は届いたが、といった意味合い。

菊の節会(せちえ)の 後朝(こうちょう)の
宴(えん)に侍(はべ)りし 秋は来ず
御衣(ぎょい)を日毎(ひごと)に 拝しつつ

<尋常小學唱歌『菅公』二番の歌詞より>

「菊の節会(せちえ)」とは、9月9日の「菊の節句(重陽の節句)」のこと。「後朝(こうちょう)」とは、古語では後朝(きぬぎぬ)という別の意味合いがあるが、ここでは単に翌日(9月10日)を意味する。

この部分の歌詞は、菅原道真による次のような漢詩が元になっている。

『九月十日』

去年の今夜 清涼に侍す
秋思の詩篇 独り断腸
恩賜の御衣 今此に在り
捧持して毎日 余香を拝す

<菅原道真『九月十日(または「重陽後一日」』書き下し文>

この漢詩を踏まえて『菅公』二番の歌詞を解釈すると、次のような意味合いになる。

菊の節句の翌日の宴に招かれ、清涼殿で天皇のそば近くにお仕えしていた秋はもう来ない。あのとき天皇から賜った着物(御衣)の残り香を毎日のように懐かしんでいる。」

明治29年(1896年)

掲載:新編教育唱歌集 5

作詞:大和田建樹/作曲:多 梅稚(おおの うめわか)

1.
学者の家に 身は出でて
たちまち上(のぼ)る 雲のうえ
よし禍(わざわい)に かかるとも
いかでか君を 忘るべき

2.
覆(おお)わば覆え 雲霧よ
心の月は くもりなし
ただ一片の 誠忠を
知るは天地の 鬼神のみ

3.
詩歌のわざも 世にすぐれ
文字の書く道は万世(よろずよ)の
法(のり)を伝えて その徳を
慕わぬ人は よもあらじ

4.
生きては 君につかえたり
死しては 国の文学の
守りの神と 祭らるる
御稜威(みいつ)は高し 仰げ人

5.
仰げ人々 この神を
尽きぬ御いつと もろともに
盛り久しき 梅の花
開くる御代の めでたさを

<補足>

大和田建樹と多 梅稚は『鉄道唱歌 東海道編』を作詞作曲したコンビ。

明治35年(1902年)

掲載:幼年唱歌 三 下巻

作詞:桑田 春風/作曲:目賀田万世吉(めかだませきち)

1.
ま白き梅の 花よりも
公(きみ)がこゝろは 清けれど
さがなき人の ねたみうけ
流されたまひし うたてさよ

2.
盛りの梅の かをりより
公が才徳 高けれど
世にいれられず しばらくは
うき年月を おくりけん

3.
筑紫のはての 秋の夜に
恩賜の御衣の からうたや
古(むかし)ながらの まごころは
神も知りけん 守りけん

4.
やがて罪なき 証明(あかり)たち
とがは許され 後の世に
北野の神と まつられて
千年のけふも 梅かをる

関連ページ

東風吹かば にほひをこせよ 梅の花
太宰府に左遷される前の菅原道真が詠んだ有名な和歌
東風 こち 語源・由来は?
なぜ春の風を意味する「東風」は「こち」と読むのか?
重陽 ちょうよう 意味・由来 菊の節句
毎年9月9日、菊の咲く頃に菊酒を飲んで長寿を願う重陽の節句
尋常小学唱歌 有名な唱歌 文部省唱歌
日本人の作曲家による日本独自の楽曲が用いられた文部省唱歌
歴史のうた 歴史に関する日本の歌
歴史の教科書に登場するような有名な歴史に関する日本の歌まとめ