分福茶釜 ぶんぶくちゃがま
由来とあらすじ(まんが日本昔ばなし)

心を通わせた動物との別れは、いつだってつらく悲しい

子供の頃に読んだ昔ばなしを大人になって読み返し、「あれ、こんないい話だった?」と忘れていたストーリー展開に新鮮な驚きを感じたことはないだろうか?

筆者にとっては、この「分福茶釜(ぶんぶくちゃがま/ぶんぷくちゃがま)」がその典型例で、「狸が茶釜に化けて芸をする」という点だけが記憶に残っていた。

なぜ狸が芸をすることになったのか、その後はどうなってしまうのか、等のあらすじ・ストーリーについては、すっかり忘れてしまっていた(もしくは幼くて理解できていなかった)。

「分福茶釜」のストーリー・あらすじについては、作品や編者によっていくつかバリエーションがあるが、アニメ「まんが日本昔ばなし」で放送された「ぶんぶく茶釜」のストーリー展開が親しみやすいと思われる。

「まんが日本昔ばなし」版「ぶんぶく茶釜」の簡単なあらすじ・ストーリーは次のとおり。民話「分福茶釜」の由来・歴史的ルーツについても簡単にまとめてみたい。

まんが日本昔ばなし版「ぶんぶく茶釜」あらすじ

むかしむかし、茂林寺(もりんじ)の和尚さんが趣味の骨とう品集めで買ってきた立派な茶釜は、なんと狸が化けていた茶釜だった。慌てた和尚さんは、ちょうど近くを通りかかった「くず鉄や(廃品回収)」の男にその茶釜をタダでくれてやった。

やがて男にも正体がバレると、タヌキは正直に事情をすべてを話した。茶釜に化けたまま戻れなくなり、このままでは仲間の元には帰れないという。

金のない男だったが、タヌキは自ら芸をして稼ぐからと、男の家においてもらえることになった。茶釜に化けたタヌキが芸をする見世物小屋は大繁盛。たちまち男は裕福になった。

福をもたらした茶釜タヌキ・ぶんぶく

男に福をもたらした茶釜タヌキは、いつしか「ぶんぶく(分福)」の愛称で呼ばれていた。

男は豊かになったが、身の程をわきまえていた。山に戻れないぶんぶくをいつも心配し、元の姿に戻して山へ帰してやる方法はないかといつも考え、あれこれ試してみたが効果は出なかった。

「わたしが元の姿に戻ったら、貴方は今のようにお金を稼げなくなる。それでもいいのですか。わたしは今の生活が本当に幸せなんです。」と、ぶんぶくも男を心配する。二人の間には、お互いを大切に思い合う、家族のような絆が生まれていた。

ぶんぶくとの突然の別れ

ある日、ぶんぶくは高熱を出して倒れてしまう。茶釜に化け続けていることで体に負担がかかっていたようだ。男は看病しながら、ぶんぶくにこう語りかけた。

「なあ、ぶんぶく。春になったら花見に行こうや。にぎりめしさ持ってな。さあ、これ飲んで早く元気になれや、ほれ、ぶんぶく。」

寝込むぶんぶくの元へ甘酒を持って行ったが、ぶんぶくの目は閉じられたまま、二度とその目を開くことはなかった。ぶんぶくは最後まで本当に幸せだった。一人残された男は、雪の夜道に崩れ落ち、夜通し泣きつくした。

翌朝、男はぶんぶくの亡骸を元の茂林寺へ運び、手厚く供養してもらった。男はこれまでのことをすべて和尚様に話し、茶釜はお寺に安置されることになった。

上写真は現在の茂林寺(出典:Wikipedia)。分福茶釜が展示されており、一般参拝客でも見学することができる(有料)。東武伊勢崎線の茂林寺前駅から徒歩で約10分のアクセス(群馬県館林市)。

ぶんぶく茶釜の由来・ルーツは?

民話「ぶんぶく茶釜(分福茶釜)」の由来・ルーツは、江戸後期の随筆『甲子夜話』(かっしやわ)に登場する化け狸の話「茂林寺の釜」(もりんじのかま)が起源。執筆者は、肥前国平戸藩の第9代藩主・松浦静山。

「茂林寺の釜」でタヌキが化けるのは、寺の僧・守鶴。彼の愛用する茶釜は、妖術によりいくら汲んでも湯が尽きない魔法の茶釜だった。

守鶴の正体は、数千年も生き続けている化け狸。インドで釈迦の説法を受け、中国を渡って日本へやって来たのだった。

昼寝中に正体を見破られた守鶴は寺を去るが、最後の別れの日、人々に幻術を披露し、源平合戦の屋島の戦いや釈迦の入滅を再現して見せたという。

ちなみに、スタジオジブリの長編アニメ「平成狸合戦ポンポコ」では、古狸が化け学のお手本として、那須与一が扇の的を射貫く場面を妖術で見せるシーンがあるが、これは「茂林寺の釜」ラストシーンへのオマージュと言えるだろう。

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