トルコ国歌

トルコ共和国/Republic of Turkey

トルコ国歌『独立行進曲』は、トルコ革命の最中、1921年3月にアンカラの大国民議会政府で国歌として正式に採択された楽曲。

当時はオスマン帝国が衰退し、第一次世界大戦で西欧諸国に分割占領されていたトルコ。祖国解放へ向けたトルコ革命のうねりの中でトルコ国歌は誕生した。

写真:初代トルコ大統領ムスタファ・ケマル像

なお、トルコ国歌『独立行進曲』は、トルコのみが承認する独立国「北キプロス・トルコ共和国」でも国歌として歌われている。

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歌詞の意味・和訳

1.
Korkma, sönmez bu şafaklarda yüzen al sancak;
Sönmeden yurdumun üstünde tüten en son ocak.
O benim milletimin yıldızıdır, parlayacak,
O benimdir, o benim milletimindir ancak.

恐れるな!深紅の旗は誇り高く
暁にたなびき 決して色褪せない
祖国に燃え立つ最後の火
それは我等が希望の星 永久に輝く
それは我等 勇敢な国民のもの

2.
Çatma, kurban olayım, çehreni ey nazlı hilal!
Kahraman ırkıma bir gül! Ne bu şiddet, bu celal?
Sana olmaz dökülen kanlarımız sonra helal...
Hakkıdır, Hakk'a tapan, milletimin istiklal!

顔を歪めるな!汝のために犠牲となろう
たなびく新月旗よ 
我が勇敢なる民族に微笑むのだ
何という怒りか 何という激情か
さもなくば 汝の為に流れた血は
何の価値もなくなろう
自由は 神を慕う我が民族の権利だ

トルコ国歌誕生までの歴史 オスマン帝国の衰退

18世紀後半からロシア帝国の南下で領土を次々と失い、19世紀にはギリシャ独立戦争やムハンマド・アリーによるエジプト・トルコ戦争など諸民族の自治・独立が進み、オスマン帝国の勢力範囲は縮小の一途を辿っていった。

第一次世界大戦では、ドイツ帝国、オーストリア=ハンガリー帝国、ブルガリア王国と共に中央同盟国側として参戦。オスマン帝国は1918年10月30日に降伏し、国土の大半は連合国によって占領された。

トルコ革命 祖国解放戦争

イギリスフランスなどの戦勝国による祖国の分割占領が進む中、王朝の保身に走ったオスマン帝国は西欧列強による占領政策に迎合。トルコ人らによる祖国解放への願いは激しさを増していった。

1919年5月14日、オスマン帝国のムスタファ・ケマル将軍は、各地の司令官・有力者達を招集すると、領土不分割を求める宣言を起草し、権利擁護委員会を設立して西欧への抵抗運動を組織化した。

トルコの都市イズミル(Izmir)に入るトルコ解放軍

トルコ共和国成立

鎮圧に向かった連合軍は1920年3月にイスタンブールを占領したが、首都を脱出した議員たちはムスタファ・ケマル氏に合流し、アンカラで大国民議会を開催。議長に選出されたムスタファ・ケマルを首班とするアンカラ革命政府が誕生した。

その後アンカラに迫ったギリシャ軍を破ると、1922年11月に大国民議会の決議によりスルタン制を廃止。オスマン王族を国外に追放後、翌年には総選挙を実施。10月29日に共和制を宣言して、今日のトルコ共和国が成立した。初代大統領にはムスタファ・ケマルが就任している。

トルコ国歌も同時期に誕生

トルコ国歌『独立行進曲 Independence March』は、アンカラ革命政府がフランスやギリシャと祖国解放戦争を繰り広げていた1921年3月21日に、アンカラの大国民議会政府で正式な国歌として採択された。

歌詞は1行14音節で韻を踏むトルコ独特の形式をとっており、全部で10節(番)まであるが、通常歌われるのは2番まで。1930年からはメロディが変更されている。

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