血の日曜日事件 北アイルランド

アイルランドのカトリック教徒による公民権運動

独立戦争後の北アイルランドでは、1971年までアルスター統一党政府により統治され、「プロテスタントによるプロテスタント国家」として、カトリック教徒に対して様々な差別が続いていた。

アメリカで1960年代に公民権運動が活発化すると、アイルランドでもカトリック差別撤廃への関心が高まった。

1972年1月には、デモ行進中のデリー市民(北アイルランド)がイギリス陸軍に銃撃され多数の死傷者を出した「血の日曜日事件(Bloody Sunday)」が発生、アイルランドにおける公民権運動はピークを迎えた。

写真:「血の日曜日事件」が起きたボグサイド地区(Bogside, Derry)

抑制力を失った北アイルランド議会は閉会・廃止され、北アイルランドは以後27年間、イギリス政府内の北アイルランド担当大臣による直接統治下に置かれることとなった。

80年代にはIRAによる紛争も活発化したが、イギリス情報局保安部(通称:MI5)の諜報活動が功を奏すると、IRAの活動は次第に政治的な方向へシフトしていった。

1998年、イギリスとアイルランドの間で和平条約「ベルファスト合意」が結ばれると、同時に行われた国民投票により、アイルランドは北アイルランド6州の領有権放棄を決定。親イギリスのユニオニストと独立派のナショナリストの双方が北アイルランド政府に参加することとなった。

90年代の好調な経済発展に伴いアイルランドにおける紛争は減少の兆しを見せ、さらに北アイルランドではカトリックの人口が増加しつつあり、近年では全人口の40%以上を占めるようになっているという。

紛争が激化していた一時期、イースター蜂起を記念してダブリンの中央郵便局で毎年開催されていた記念式典での軍事パレードは中断されていたが、和平プロセスの進んだ今日では、アイルランドのバーティ・アハーン首相により2006年の復活祭から軍事パレードが復活。2016年には、イースター蜂起100周年を記念する国家的式典の開催が準備されている。

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