故郷の人々(スワニー河)歌詞と和訳

フォスター歌曲/優しい母さんの元へ 僕はそこで生き そこで死にたいんだ

『故郷の人々(スワニー河)』は、19世紀アメリカの作曲家スティーブン・フォスターが1851年(25歳頃)に作曲したアメリカ歌曲。

日本では、日本語の歌詞がつけられ、小学校の音楽の授業で歌われたり、リコーダーで演奏される曲としても定着している。

原題は『Old Folks at Home』(オールド・フォークス・アット・ホーム)。または『Swanee River』(スワニー・リバー)とも題される。

曲のタイトルにもある地名「Swanee River(スワニー河)」は、ジョージア州南部とフロリダ州北部を流れる河(下写真)。

フォスターは最初に「スワニー河」ではなくサウスカロライナ州を流れるピディー川(the Pedee River, South Carolina) を選んでいたが、思いつきで彼のイメージにより近い発音だったスワニー(Swanee)に急遽変更されたという。

ちなみに、フォスターはスワニー河に一度も言ったことがないらしい。

長女マリアン誕生でパパに

この曲が発表された1851年には、昨年結婚した妻ジェーンとの間に長女マリアンが生まれており、その頃フォスターはすでに音楽を職業として作曲活動を続けていくことを決意していた。気力・能力ともに充実していた時期で、パパとなったフォスターの意気込みが感じられるような、後世まで評価の高い名曲といえる。

【YouTube】故郷の人々(スワニー河)

歌詞の意味・日本語訳(意訳)

1.
Way down upon de Swanee ribber
Far, far away
Dere's wha my heart is turning ebber
Dere's wha de old folks stay

スワニー河へ向かって、遠く、遠く
そこは私の心が向かうところ
そこは懐かしき仲間達がいるところ

All up and down de whole creation
Sadly I roam
Still longing for de old plantation
And for de old folks at home

人生の浮き沈みに 一人悲しくさまよう
今でも懐かしく思い出される
プランテーション(大規模農園)で働いていた頃を
そして故郷の人々を

chorus:
All de world am sad and dreary
Ebry where I roam
Oh! darkeys how my heart grows weary
Far from de old folks at home

<コーラス>

この世は常に悲しく憂うつだ
行くところすべてが
ああ、同じ黒人達なら分かるだろう
故郷の人々から遠く離れて暮らす
この心の憂いが

2.
All round de little farm I wandered
When I was young
Den many happy days I squandered
Many de songs I sung

若い頃に歩き回った小さな農場では
たくさんの幸せな日々があり
たくさんの歌を歌った

When I was playing wid my brudder
Happy was I
Oh! take me to my kind old mudder
Dere let me live and die

兄弟と遊んでいた頃が幸せだった
ああ、優しい母さんのところへ連れて行ってくれ
僕はそこで生き、そこで死にたいんだ

chorus:
All de world am sad and dreary
Ebry where I roam
Oh! darkeys how my heart grows weary
Far from de old folks at home

<コーラス>

この世は常に悲しく憂うつだ
行くところすべてが
ああ、同じ黒人達なら分かるだろう
故郷の人々から遠く離れて暮らす
この心の憂いが

3.
One little hut among de bushes
One dat I love
Still sadly to my mem'ry rushes
No matter where I rove

茂みの中にあった小屋が大好きだった
どこを歩いていても
悲しさと共に記憶がよみがえってくる

When will I see de bees a humming
All round de comb?
When will I hear de banjo tumming
Down in my good old home?

いつ聴けるだろうか
巣の周りでハチが飛ぶ音を
いつ聴けるだろうか
懐かしき故郷でバンジョーの音を

chorus:
All de world am sad and dreary
Ebry where I roam
Oh! darkeys how my heart grows weary
Far from de old folks at home

<コーラス>

この世は常に悲しく憂うつだ
行くところすべてが
ああ、同じ黒人達なら分かるだろう
故郷の人々から遠く離れて暮らす
この心の憂いが

日本語歌詞

『故郷の人々』日本語歌詞としては、『小ぎつね』、『夜汽車』、『灯台守』などの訳詞を手がけた勝承夫(かつ よしお/1902-1981)による歌詞が知られている。

原曲の英語の歌詞と比べて、どのような内容の日本語歌詞となっているのだろうか?勝承夫作詞による『故郷の人々』を次のとおり引用して、その内容を簡単に確認してみよう。

1.
はるかなる スワニー川 その下(しも)
なつかしの彼方(かなた)よ わがふるさと

旅空のあこがれ 果てなく
思い出(い)ずふるさと 父母(ちちはは)います

長き年月 旅にあれば
おお疲れし わが胸
父母(ふぼ)を慕(した)うよ

2.
畦道(あぜみち)さすらいし 思い出
はらからと遊びし 楽しき日

ゆめあまき歌声 むなしや
おお行(ゆ)きて暮らさまし 母のもとに

長き年月 旅にあれば
おお疲れし わが胸
父母を慕うよ

この日本語歌詞を見ると、原曲にある「プランテーション(大規模農園)」や「黒人」といった19世紀アメリカの歴史的な部分については除去され、「ふるさと」「父母」といった日本人にも共感できる要素を強調して訳詞されているように感じられる。

「スワニー川」という固有名詞がなければ、原曲がフォスター歌曲であることすらも気が付かないほど、日本人向けの唱歌としてなじんでいたかもしれない。

南部を離れた黒人の悲哀の詩

『故郷の人々(スワニー河)』の内容は、アメリカ南部での綿花畑(プランテーション)から逃れ、北部の自由州で生き延びる黒人達が、昔の子供の頃を懐かしく哀しく思い出す切ない曲となっている。

「故郷」が指す場所については、アメリカで生まれた黒人達にとってはアメリカの綿花畑が「故郷」になり、アフリカ大陸から連れて来られたばかりの黒人達にとっては、生まれ育ったアフリカ大陸の地元の村が「故郷」ということになるだろうか。

なお、彼らの北部への脱走を助ける活動があったことについては、19世紀アメリカの秘密組織「地下鉄道(アンダーグラウンド・レイルロード)」を参照されたい。

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