一年の計は元旦にあり 意味と由来・ルーツ

ルーツは古代中国?元旦を過ぎたらもうダメ?

『一年の計は元旦にあり』は、一年の計画は元旦(1月1日)に立てるべき、1年の計画を立てるのに元旦は良い機会だ、といった意味のことわざ。

年の始めにきちんとした計画を立て、それを実行することで、その一年が有意義な一年になるという意味合いの格言。

年末年始・お正月シーズンによく言及される。「元旦(がんたん)」とは、元日(1月1日)または元日の朝のこと。

元旦を過ぎた1月2日以降ではもう遅いだろうか?いや、まったくそんなことはない。ルーツとなった文章をみると、「元旦」とは一言も書かれていないからだ。詳細は後述する。

謹賀新年

さて、『一年の計は元旦にあり』の由来・ルーツについては、ネットで簡単に調べると、中国の書籍「月令広義」(げつれいこうぎ)とする説と、日本の戦国武将・毛利元就の言葉だとする説の二つがよく見られる。

果たして、本当にこの二つの説が『一年の計は元旦にあり』の由来・ルーツなのだろうか?本当は誰が唱えた格言なのか?

まずは、中国の書籍「月令広義」説と、毛利元就説、これら二つの説について簡単に触れたうえで、『一年の計は元旦にあり』の由来・ルーツについて、当サイトの独自見解をご紹介したい。

中国の書籍「月令広義」説

「月令広義」(げつれいこうぎ)とは、中国・明代の馮応京(ふうおうけい)が万暦年間(1573-1620)に著した書籍。中国の伝統的な年中行事・儀式・しきたりなどを解説している。

この書籍において、『一年の計は元旦にあり』の由来・ルーツに該当する漢文は次のとおり。書き下し文は筆者が追記した。

一日之計在晨
一年之計在春
一生之計在勤
一家之計在身

<書き下し文(筆者追記)>

一日の計は晨(あした)にあり
一年の計は春にあり
一生の計は勤にあり
一家の計は身にあり

<引用:「月令広義」歳令『四計』の項より>

この「一年之計在春(一年の計は春にあり)」が、日本のことわざ『一年の計は元旦にあり』の由来・ルーツとして言及される部分だ。

ここでの「春」とは、当時の中国の暦における春、つまり1月から3月の季節をさしている。「元旦」とは記述されていない。

ちなみに、この全文の意味合いは、充実した一日にするには朝が重要であり、充実した一年にするには春が、充実した一生には勤勉が、充実した一家には健康な体が、それぞれ肝要である、と説いている。

毛利元就説

日本の戦国武将・毛利元就は、1558年に長男の毛利隆元へあてた手紙の中で、次のような教訓を伝えたとされている。

毛利元就

一年の計は春にあり
一月の計は朔(ついたち)にあり
一日の計は鶏鳴(けいめい)にあり

<引用:毛利元就から毛利隆元へあてた1558年の手紙より>

冒頭の「一年の計は春にあり」の部分が、『一年の計は元旦にあり』の由来・ルーツとして言及される。

ここでの春も、当時の日本は中国の暦を用いていたので、1月から3月の季節を指していることになる。「元旦」とは記述されていない。

ちなみに、「朔(ついたち)」とは月の最初の日(一日)のこと。鶏鳴(けいめい)とは、一番鶏が鳴く早朝を意味している。

時系列的にどっちがルーツ?

「月令広義」説と毛利元就説の二つを形式的な年代だけで比較すると、前者は万暦年間(1573-1620)、後者は1558年であり、時系列的に毛利元就の手紙の方が先に存在していたことになる。

この年代だけを見ると、『一年の計は元旦にあり』、そしてそのルーツである「一年の計は春にあり」は、あたかも毛利元就が初めて考え出した独自の格言であるように見えてしまうが、そう結論づけてしまうのは早計だ。

なぜなら、「月令広義」が扱っている内容は、紀元前の秦より前の時代における一年間の行事が対象であり、毛利元就よりもはるか昔の中国文化が元になっているからだ。

ただ、毛利元就の手紙の方が成立年代は早いことから、毛利元就は「月令広義」以外の書籍から「一年の計は春にあり」の原文に触れて知得していたことになる。

一体、毛利元就は誰が提唱したどんな原文を読んでいたのだろうか?

当サイトの見解:白居易説

『一年の計は元旦にあり』、そしてそのルーツである「一年の計は春にあり」の由来については、江戸時代中期に編纂された仮名草子『百物語』における次のような記述が参考になる。

九 ある人白楽天の三儀とて語りしハ
一日計在鷄鳴  鷄鳴不起日課空
一月計在朔日  朔日不立一月空
一年計在陽春  陽春不耕秋実空
といへる語、まことにたゞ人ハ心に油断おこるにより、よろづにくゆることもわざハひもおこるとかや。

<引用:小川武彦著『百物語全注釈』巻之上 勉誠出版>

この三つの内容は、毛利元就の手紙の内容とほぼ一致する。おそらく、この漢文は当時の日本で有名な作品であり、毛利元就はこれと同趣旨の教訓を毛利隆元への手紙に書き記したものと推測される。

冒頭にある「白楽天」とは、唐代中期の漢詩人・白居易(はく きょい/772-846)のこと。白居易の詩は、清少納言『枕草子』や紫式部『源氏物語』など、日本の平安文学に多大な影響を与えた。

白居易

挿絵:白居易(陳洪綬画/出典:Wikipedia)

1013年頃に日本で成立した『和漢朗詠集』では、漢詩句588首のうち、白居易の作品が136句も収められ他の作者を圧倒している。

上述の漢詩が、日本で知名度の高かった白居易による作品だったとすれば、それを毛利元就が何らかの書籍で知得していたとしても何ら不思議はないだろう。

誰が「元旦」に修正した?

『一年の計は元旦にあり』の由来・ルーツが白居易の漢詩である可能性が高いことは分かったが、その原文の意味は「一年の計は春にあり」であり、「元旦にあり」とは記されていない。

上述のように、古代中国および江戸時代までの日本の暦では、春は1月から3月の季節を表す幅のある概念であり、「元旦」のようにたった一日に限定されているわけではない。

では、いつ誰が「一年の計は春にあり」を『一年の計は元旦にあり』に差し替えてしまったのだろうか?

これについては、当方のリサーチ能力では、はっきりと詳細を述べた文献を見つけることは出来なかった。ご興味のある方は、この点についてさらに調査を進めていただければ、面白い発見に出会えるかもしれない。

1月2日以降でもOK!

白居易の作とされる漢詩では、『一年の計は元旦にあり』のルーツは「一年の計は春にあり」とされ、「元旦」の一日だけに限定されているわけではなかった。

元旦を過ぎた1月2日以降でも、古い暦の「春」のうちにその一年の計画や予定を立てれば、この格言の趣旨から外れてしまうことはない。

ただ、あまり無意味に時期を遅らせてもよくないので、遅くとも正月休みが終わるまでにはその年の予定を立て終え、正月明けからさっそく実行に移していくのが望ましいだろう。

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