ヨハン・シュトラウス親子の生い立ち

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ヨハン・シュトラウス親子の生い立ち~自力で掴んだ栄光への道~

ヨハン・シュトラウス1世
ヨハン・シュトラウス1世(出典:Wikipedia)

 ヨハン・シュトラウスの父ヨハン・シュトラウス1世(Johan Strauss I/1804-1849)は、オーストリアのウィーン生まれ。ウィンナ・ワルツを確立させた人物の一人として「ワルツの父」とも称される。彼の最も有名な曲は、ニューイヤーコンサートのアンコールで大トリを務めるお馴染みの「ラデツキー行進曲(Radetzky-Marsch) Op. 228」だ。

 父ヨハンの両親は、ウィーンのレオポルトシュタットで居酒屋を経営していた。生活は厳しく、居酒屋もやがて経営不振に陥った。多額の借金を抱え、母親は病死、父親はドナウ川に身を投げてしまう。親戚に引き取られた父ヨハンは丁稚奉公に出されるが、すぐに飛び出してしまう。

 日銭を稼ぐために父ヨハンはヴァイオリンやビオラを片手に「流し」の生活を始める。両親の居酒屋で流しの演奏を見聞きしていたのだろうか、やがて演奏の腕前は上達し、ダンスホールの楽団からお呼びが掛かるようになった。そして父ヨハン15歳のとき、ヨーゼフ・ランナーの楽団からスカウトを受けた。

ヨーゼフ・ランナー楽団への入団、そして独立

 ヨーゼフ・ランナー(Josef Lanner/1801-1843)は、当時すでにダンス音楽の作曲家として著名であり、今日ではウィンナワルツの原型を確立させた「ワルツの始祖」と称される音楽家である。ヨーゼフ・ランナーの下で修行を積んだ父ヨハンは、やがて楽団のサブリーダーにまで上り詰める。

 演奏だけでなく作曲活動まで手を染め始めた父ヨハンは、次第に楽団との軋轢を生じるようになり、ヨーゼフ・ランナーとの関係も徐々に冷え初めていった。やがて1825年、自分自身の楽団を新たに立ち上げ、独立した音楽活動を始めるようになる。

1825年 ヨハン・シュトラウス2世誕生

 息子ヨハン・シュトラウス2世が生まれたのは、ちょうどこの頃である。彼も父と同じく音楽家としての才能に恵まれていたが、父は息子が音楽家としての道を歩むことには反対で、大学では音楽とは関係のない経済学を専攻させられていた。

 それでもヨハン・シュトラウス2世は、父ヨハンの楽団員からヴァイオリンを学び、教会のオルガン奏者ヨーゼフ・ドレヒスラーに師事し音楽の基礎を身に付けていった。

 18歳にはデビューコンサートを果たす。24歳の時に父が他界すると、ヨハン・シュトラウス2世は父の楽団をそのまま引き継ぎ、「ヨハン・シュトラウス」の名前を背負い、ウィーンを代表する人気音楽家として本格的に栄光の道を歩み始めたのであった。


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