
![]() |
| 著作権法 中山 信弘 (著) |
フォスター歌曲は、その生涯で300曲近くにのぼり、そのうち200曲ほどが出版されている。現在の著作権法に照らしてフォスターの音楽活動を金銭的に評価すると、なんと年間数億円にものぼるそうだ。
年間数億円ももらっていれば相当な贅沢ができそうだが、実際のフォスターの生活ぶりは贅沢とは程遠いものだった。
フォスターがプロの音楽家として活動を始めたのは、彼が23歳の頃(1849年)。その頃に音楽活動から得られた収入は微々たるもので、親戚から度々借金をしたり、楽譜出版社に報酬の前借を要求したりと、実際の生活はかなり苦しいものだったという。
当時のフォスターのような音楽家が音楽活動から収入を得る手段といえば、「楽譜」を書いて楽譜出版社と契約し、出版部数に応じて数%の印税を得るか、曲そのものの権利を買い取ってもらうのが一般的。
しかし、当時のアメリカは、「演奏権保護が存在しなかった」、「アレンジに対してオリジナルの作者が権利主張できなかった」、「著作権料を徴収する現在の著作権管理団体のようなシステムが存在しなかった」 など、音楽家の権利保護は現在と比較してまだまだ不十分だった。
フォスターが活躍した19世紀半ばにおいて、「作曲家」がその作品を発表する手段といえば、五線譜と音符でメロディーを表現する紙ベースの「楽譜」ぐらいなものだった。CD・レコードの源流にあたる「蓄音機」がエジソンによって発明されたのは、フォスターが亡くなってから13年後のこと。
しかも、当時の著作権法の保護対象はあくまで「印刷物」としての楽譜のみ。従って、その楽譜に表現されているメロディーをレストランや劇場などで演奏された場合に、その演奏者に対して何ら権利主張することはできなかった。
印刷物としての楽譜の保護は完璧だったのかといえばそうではなく、実際に他の多くの出版社が勝手に他社の楽譜をコピーして出版していたようだ。
フォスターは生涯で一体いくらの収入があったのだろうか?この点については、彼が23歳から37歳(1849-1864年)の11年間の合計で、「$15,091」という記録が残っている。単純に1ドル100円換算で約150万円となり、当時の物価指数を考慮してさらに換算すると300万円ちょっとになるようだ。
|
西村 博之 (著) |
晋遊舎 |
![]() |
| 夢みる人―作曲家フォスターの一生 |
![]() |
| The Civil War - Traditional American Songs |
深い河、ジェリコの戦い、こげよマイケルなど有名な黒人霊歌・スピリチュアルの解説・動画・日本語訳など。
アメリカ愛国歌『リパブリック讃歌』が誕生するまでの19世紀アメリカの歴史。ジョン・ブラウンと南北戦争を中心に。
アメイジング・グレイス、森のくまさん、峠の我が家、オーラリーなど、日本でも有名なアメリカ民謡・歌曲特集。
フォスターとほぼ同時期のアメリカで活躍した音楽家ヘンリー・ワーク作曲『大きな古時計』の謎に迫る!
|
Eワーナーミュージック・ジャパン |
ユニバーサル インターナショナル |