
<第16節>
ダビデ王は主の御前に出て座し、次のように言った。「神なる主よ、何故わたしを、わたしの家などを、ここまでお導きくださったのですか。
<第17節>
神よ、御目には、それも小さな事にすぎません。あなたは、この僕の家の遠い将来にかかわる御言葉まで賜りました。神なる主よ、あなたはわたしをとりわけ優れた人間と見なされたのでしょうか。
<第18節>
あなたは僕を重んじてくださいました。ダビデはこの上、何を申し上げることができましょう。あなたは僕を認めてくださいました。
<第19節>
主よ、あなたは僕のために、御心のままに、このように大きな御業をことごとく行い、その大きな御業をことごとく知らせてくださいました。
<第20節>
主よ、あなたに比べられるものはなく、あなた以外に神があるとは耳にしたこともありません。
<第21節>
また、この地上に一つでも、あなたの民イスラエルのような民がありましょうか。神は進んでこれを贖って御自分の民とし、御名を上げるために、大いなる恐るべき御業によって、エジプトから贖ったあなたの民の前から異邦の民を追い払われました。
<第22節>
主よ、更にあなたはあなたの民イスラエルをとこしえに御自分の民とし、あなた御自身がその神となられました。
<第23節>
主よ、今この僕とその家について賜った御言葉をとこしえに確かなものとし、御言葉のとおりになさってください。
<第24節>
それが確かなものとされ、『万軍の主、イスラエルの神はまことにイスラエルの神』と唱えられる御名が、とこしえにあがめられますように。僕ダビデの家が御前に堅く据えられますように。
<第25節>
わたしの神よ、あなたは僕の耳を開き、僕のために家を建てる、と告げてくださいました。それゆえ、僕はあえて御前に出て祈っているのです。
<第26節>
主よ、あなたは神です。あなたは僕にこのような恵みの御言葉を賜りました。
<第27節>
どうか今、僕の家を祝福し、とこしえに御前に永らえさせてください。主よ、あなたが祝福してくださいましたから、それはとこしえに祝福されます。」
日本聖書協会刊行『聖書 新共同訳 旧約聖書続編つき』(1989年版)より引用
ジョンニュートン牧師は、教会での説教で旧約聖書の歴代志を参照しながら、荒れ狂う海原から奇跡的に助かり回心することとなった自分の姿を、深い恵みの与えてくださ神に感嘆するダビデ王と重ね合わせ、教会に集まった人々とアメージンググレースの歌詞を口ずさみました。
嵐の中から助かったのは彼だけではありませんでした。しかし、奇跡の生還を果たした瞬間に神の姿を思い、その偉大なる力の前に只立ち尽くしながら、過去の不信を悔い改め生まれ変わろうと決心したのは、他でもない彼一人だけだったのです。彼は、何故自分だけが神の存在を強く意識したのか、そして何故神の導きに身を委ねる決意をするまでに心を揺さぶられたのか、何故私が、何故私なのかと自問し、偉大なる神の恵みに目覚め、神の教えを受け入れはじめたのです。
さて、この当時の賛美歌は曲に合わせて歌う形式ではなく、単調な旋律の詠唱の形を取っていたそうですが、次のページでは、 「信仰の回顧と期待(Faith's Review and Expectation)」がその後どのようなメロディーで歌われるようになったのか、今日知られるメロディーとはいつ巡り合ったのかについて、その謎に迫ります。
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