ドヴォルザーク チェロ協奏曲

アメリカの雄大な自然と若き日の恋心が込められたコンチェルト

『チェロ協奏曲 ロ短調』作品104は、ドヴォルザークが2度目のアメリカ滞在を続けていた1894年から1895年頃にかけて作曲されたチェロのための協奏曲。「ドヴォコン(ドボコン)」の略称・愛称で知られる。

アメリカ・ニューヨーク州とカナダ・オンタリオ州の国境に位置するナイアガラの滝(上写真)へ観光に訪れた際、ドヴォルザークはその圧倒的なアメリカの大自然からインスピレーションを受け、『チェロ協奏曲 ロ短調』の第1楽章が作曲されたという。

【試聴】Dvorak-Cello Concerto in b minor Op. 104 (Complete)

第2楽章は片思いの彼女への想い

『チェロ協奏曲 ロ短調』第2楽章では、ドヴォルザークが若い頃に思慕を寄せていたヨセフィーナ・カウニッツ伯爵夫人(義理の姉)への想いが込められているという。

ドヴォルザークは二十歳半ばの頃、金属細工商チェルマーク家の2人の娘の音楽教師を務めていた際、女優でもあった姉ヨセフィーナ(ヨゼフィーナ)に恋心を抱くも失恋。

彼女への恋心は、モラヴィアの詩人グスタフ・プレガー=モラフスキーの詩集に基づく歌曲集『糸杉』に表れているようだ。

ヨセフィーナは、その中の一曲『私を一人にして Laßt mich allein!』(『4つの歌曲』作品82より)を好んで聴いていたとされ、『チェロ協奏曲 ロ短調』第2楽章では同曲が引用されている。

ヨセフィーナが重病と知らされたのが引用のきっかけで、アメリカからチェコへの帰国前に既に曲は完成していたが、1895年の帰国後すぐに彼女が亡くなると、ドヴォルザークは第3楽章で歌曲の旋律が現れる4小節を60小節に拡大している。

なお、ブラームスと出会う数年前の1873年、ドヴォルザークは『白山の後継者たち』初演の際に、かつて音楽教師を行っていた姉妹のうち妹のアンナ・チェルマーコヴァーと再会し、同年秋に結婚している(ヨセフィーナは義理の姉となった)。

ホームシックと経済恐慌で急遽チェコへ帰国

1894年10月に2回目のアメリカ滞在をスタートさせたドヴォルザークだったが、強烈なホームシックに襲われて体調を崩してしまい、さらに経済恐慌の影響で報酬支払が遅れるなど、アメリカでの生活に暗雲が立ち込め始めた。

1894年11月頃から『チェロ協奏曲 ロ短調』の作曲が着手され、翌年2月に完成に至ったが、ドヴォルザークの精神状態は既に限界を迎えていた。

アメリカ行きを強く説得したニューヨーク・ナショナル音楽院の創立者ジャネット・サーバーの夫人に帰国の強い意思を伝えると、1895年4月、ドヴォルザークはアメリカを離れ帰国の途についた。

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